里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(36)」〉お客と正面から向き合う 鮮魚店「魚ぎ」四代目 内藤彰俊さん

〈『日本養殖新聞』2015年6月15日号掲載、2020年4月16日加筆修正〉

「清流の国」をうたう岐阜県の中心をなす岐阜市。41万の市民が暮らす、水と緑に恵まれた風光明媚な市域には、郷土の象徴である岐阜城天守を戴く金華山がそびえ、その麓を鵜飼で知られる長良川がゆったりと流れる。

同市の玄関口となるJR岐阜駅に降り立ったのは、晩春から初夏へ移ろうとする5月の終わりの頃。陽光が差し込む駅前の広場には、この地を「岐阜」と命名し、隆盛を導いた信長の金色の像がまぶしく輝きながら起立し、街の繁栄と人びとの往来を見守る。

駅の北口から繊維問屋が密集する街のなかをぬけて、さまざまな料理店や飲み屋が続く、雑多な空気がただよう通りを進む。歩いて10分くらいの、多くの商家が軒を連ねる玉宮町の一角にあるのが、老舗の鮮魚店「魚ぎ」。たくさんの新鮮な旬の魚介が並ぶ店頭からなかに入ると、四代目の内藤彰俊さん(34)がにこやかな笑顔で迎えてくれる。同店の創業は昭和20年。初代が行商から身を起こして店舗を構え、現在に至る。内藤さんは、代表を務める父を支え、母や妻と協力しながら日々商いを営む。

ちょうどこれから仕入れたアユを焼くというので、見せてもらう。今年の長良川のアユ漁は、県内の他の河川に先駆けて5月11日より下流域で始まった。同店では、先々代の頃から使う天火のガス台で、注文を受けてからじっくりと焼き上げる。焼き物は、女衆の手で行うのが代々の伝統で、現在は、内藤さんの妻・香織さんが、アユはもちろんウナギや他の魚もすべて担当する。

岐阜市中央卸売市場での仕入れから配達、店内での調理や販売まで、内藤さんの一日は夜明け前から日没まで忙しい。その合間をぬって、マグロの解体イベントを開いたり、地元の商工会が企画した講座で魚食の魅力を一般の人びとに伝えたり、自らが動くことですこしでも魚の消費の拡大につなげたいと奮闘を続ける。

岐阜の県魚にも指定されているアユの消費動向について尋ねると、「実感として減っています。アユだけでなく魚食全体の機会が失われ、食べる魚種の多様性もなくなってきています」と、危機感をあらわにする。家業を継いだこの12年を振り返っても、地元の水産会社の倒産や廃業が止まらない。魚食の衰退に歯止めをかけ、直面する苦境をなんとか打開しようと、市場では若手を中心に活性化に向けた動きがこの2、3年で生まれ、内藤さんも取り組みの輪に加わる。「アユじゃなくてアジやサバでも、そこから食べて広げていけばいいのでは。とにかくどんな形でもよいので、まずは魚を食べて知ってほしい」。内藤さんが行うさまざまな活動の根底には、こうした思いがある。

幼い頃より父・伸一さんや母・早苗さんが働く姿を見て育ち、家業を継ぐことを早くから決意。高校を卒業すると、福岡と東京の鮮魚店で約2年間、魚の扱いについて学ぶ。厳しい修業時代に叩き込まれ、いまもしっかりと胸に刻んでいるのは、失敗したら「まず魚に謝れ」という教え。生き物の命を扱う職人として、一匹一匹を大切に日々魚と真剣に向き合う。

そしてもう一つ、内藤さんがいつも心がけているのは「きれいな仕事をする」ということ。仕入れた商品の魚を、刺身であればその切り口から盛り付けまで、最上の状態で客に提供し味わってもらうため、鮮度の管理はもちろん、道具の手入れから接客にいたるまで、一つひとつの工程に決して手をぬかない。

「お客さんと正面から向き合わないと。いまの時代、魚をただ並べているだけでは売れません。昔はやらなかった下ごしらえをするなど、いろんなニーズに答え、提案していくことが大切です」。将来、伸一さんの後を受けて店の経営を担う内藤さんは、進むべき方向をしっかりと見据える。自らが体得した経験を生かし、魚を扱うプロとしての矜持を持ちながら老舗の看板を守り、魚食の魅力と可能性を発信し続ける。

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