里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(55)」〉ウナギを捕り川で生きる 熊野川漁師 新宅次郎さん

〈『日本養殖新聞』2017年1月25日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

この冬は暖かな日がしばらく続き、この朝も小春のような天気に恵まれた。年が暮れてしまう前に、会っておきたい川漁師がいた。乗り込んだ列車は、三重県南部の太平洋に面したリアス式の海岸近くを進み、和歌山との県境がある紀伊半島の先のほうに向かう。長いトンネルを抜けると小さな浜の集落があらわれ、また暗闇のなかにもぐる。変化のやまない車窓からの眺めを追いかけているうちに、いつしか平地がひらけ、街のなかにある熊野市駅に降り立った。

 駅から車でさらに西へと移動する。市街地をぬけ、平野からふたたび山のなかへと分け入る。曲がりくねる起伏のはげしい山道にしたがい、三重、奈良、和歌山の県境をぬうように走ると、蛇行する新宮川水系の北山川がはるか眼下に見えてきた。

熊野川と北山川が合流するあたりの左岸は熊野市の紀和町で、ここに「小船」という六軒の民家が川沿いにならぶ小さな集落がある。二つの河川がぶつかり熊野川の本流となる対岸から先は、和歌山県新宮市になる。険しい山が連なり、水をたたえた川が流れる人家の少ない一帯は秘境のようで、神々しい空気に包まれていた。

小船地区で暮らし、熊野川で漁や釣りをする新宅次郎さん(68)。10、11月によく捕れるというウナギは、「もどり(もんどり)」と呼ぶ、太い竹筒を使った漁具で漁獲する。もどりのなかには、餌となる生きたアユを何匹か入れ、一度入ったら出られない筌(うけ)のような仕組みのふたを竹筒にはめる。川底にしずめて重い石を乗せ、しかけて数日おくとウナギが入る。もどりに使う竹は「太いものがいい。なかでアユが回転し長く生かすことができる」と、自ら漁具を作り改良をかさねてきた新宅さんは話す。もどりに入れたアユは、二日もすると弱ってくる。弱ると体からにおいがでて、ウナギが寄ってくるという。

一回の漁で、10本から15本くらいのもどりを沈める。最近でもっとも多く捕れたときは、一本の竹筒に15匹くらいウナギが入った。「かかるときは、同じ筒ばかりに入る」というから不思議だ。熊野川では、もどりの他に夜釣りやはえ縄などのウナギ漁が行われている。

昔とくらべて「ウナギは減っている」と新宅さんは言う。子どもの頃は、近くの谷や田んぼなどどこにでもいて、だれでも捕ることができた。30年くらい前には「20、30匹がもどりのなかでぎゅうぎゅうで身動きがとれず、2、3匹が死んでいた」くらい捕れたこともあった。

「ウナギの減った原因の一番はダム。流れていた川が、ひとつでもたまると水は死んでしまう」。熊野川の上流域には11のダムがある。上流からの砂利の供給が止まり、その影響で川底にアユの餌となる硅藻が付かなくなってアユが育たないという。「アユが減りウナギが減っていく」。この川でも生態系の連鎖は失われ、生き物たちの生息地が奪われている。それでも県内の多くの川を見てきた新宅さんは「熊野川はきれいで、まだ自然が残っている」と実感をこめる。

もどりで捕れたウナギのなかで、体長30センチ以下のものは地元漁協の規則にしたがって放す。背中が黒くて腹が黄色い産卵をひかえた親ウナギも逃がす。ウナギを傷めてしまうので、針を使った漁は行わない。

捕ったウナギは商売にかけず、ほとんどは近所の知り合いなどにあげる。稼ぐための営みではなく、自然と暮らす営みとしての漁がある。子どものときから川を遊び場にし、川魚を食べて育った人びとにとり、漁や釣りはここで生きることそのものなのだ。

平成23年8月、この地方を台風12号、18号が襲う。記録的な大雨となった紀伊半島大水害である。水位が約20メートルも上昇した熊野川はあふれ、大洪水を引き起こした。新宅さんの自宅も二階まで濁流にのまれ、地区は大きな被害をうける。住民の避難と地域の復旧に奔走し、修復の終えた自宅に戻ることができたのは、それから9ヶ月たってから。集落の付近には、廃屋や放棄されたままの田畑がいまもあり、災害の爪痕が生々しく残る。

「川のない生活は考えられない」と言う新宅さんには、夢がある。「ハイエースにもどりを積んで、旅をしながらアユを釣り、ウナギを捕りたい」。ゆうゆうと流れる熊野川を見つめる表情は、今日もおだやかだった。

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