里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(92)」〉生き物の消えた都会の川を歩く  愛知県長久手市から名古屋市を流れる植田川

〈『日本養殖新聞』2020年2月15日号掲載、2020年4月18日加筆修正〉

橋の上を多くの車が走り抜ける。頭上の高架を、重い音を響かせながら鉄道が通り過ぎる。日の当たらない川面に視線を落とす人はいない。眼下では、音の聞こえない、ゆっくりとした水の流れが続く。

ここは、愛知県名古屋市の東端に位置する名東区。地下鉄「本郷駅」の近くである。あたりの土地より、ずっと低いところを流れる小さな川は、高架下を西進し、隣の「上社駅」を経て南へと向きを変える。

そして、高速道路や幹線道路が複雑に交錯する、上社ジャンクションの地下を流れ、再び地上に表れる。

傾斜の急なコンクリート護岸に挟まれた、人工的な川の造りは変わらないが、取り巻く景観の変化はめまぐるしい。

愛知県長久手市の南部から名古屋市の東部にかけて流れる植田川。全長は10キロくらい。名古屋の名東区から天白区に南下し、本流の天白川に注ぐ。本郷駅のあたりは、源流から約2キロの地点である。

植田川の水源は、長久手市卯塚(うづか)にある調整池であると思われる。池には、隣接する下水道処理施設「市南部浄化センター」からの排水が流れ込んでいる。

名東区長久手市の境界を流れる植田川の上流をたどっていくと、東名高速道路の真下で流れが地下に潜ってしまう。ここが、目で見える植田川の最も上流になる。その地点から、100メートルくらい離れたところに調整池がある。池の川に近い側には、地下へと続く排水口が設けられ、水を吐き出している。

浄化センターが使用を開始したのは、2013年。1997年の地図を見ると、調整池も載っていない。昔の植田川は、さらに南へ数百メートルくらい伸びており、元々の源流は別のところにあったことがわかる。 

身近にある水辺を実際に歩き、様子を観察する。そして昔の地図や郷土資料などを読みこんで、自然と人間がもっと近かった頃の風景や暮らしを想像してみる。当時のそこには、きっとウナギがいたはずだから。

では、これまでに歩いた、植田川の源流から上社駅の3キロくらいの間に、生き物はいたのか。

源流から少し下ると、東名高速道路名古屋インターチェンジがある。川の流れは、この大動脈にしばらく沿った後、その地下を500メートルくらい潜行し、前述の本郷駅近くで地上に表れる。

地上と地下、高架下の日陰を縫うように流れるこの間に、目視で確認できた生き物は、ほんのわずかだがいた。インターチェンジ付近に小さなよどみがあり、数匹のコイが群れていた。また本郷駅の近くでは、2羽のカモを見つけた。

この流域の川底には、砂礫の堆積がほとんど見られない。平時の水深は多くのところで10センチもないだろう。変化の乏しい水路のような環境では、生き物が暮らせる棲みかはほとんどない。

人口が密集する都会の川で、治水が重要なのはよくわかる。それでも思う。いつから川は危険で、誰も近寄らない存在になってしまったのだろうかと。

人びとからその存在を忘れられた都会の川にも、かつては漁撈や魚食の文化があったに違いない。植田川にも、自然と人間の共生した歴史があったはずだ。

ウナギが棲めるような環境が、今のこの川の中・下流域に残っているのか。また紹介したい。 

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