〈『DoChubu』2012年10月25日更新、2020年4月23日加筆修正〉
頭上に広がる、絵の具でぬったような真っ青な空。周囲をおおう、深い緑でうめつくされた小高い山々。ここは愛知県犬山市の東部に位置する、栗栖(くりす)地区。ゆうゆうと流れる木曽川のそばにあって、自然にあふれた景観が広がっています。
木曽川にそって緑豊かな里山が続く同地区は、昔から農業が盛んだったところ。いまも精力的に耕作にはげむ農家が、風土の恵みを受けながら、さまざまな作物を栽培しています。この栗栖で、立派な野菜をつくり続ける「農の達人」がいると聞いて、2軒のベテラン農家を訪問。おいしい野菜づくりのポイントや農業に対する思いなどについて、うかがいました。
地力を万全にする
最初に訪れたのは、長年にわたり農業を営んでいる仙石昭一さんのお宅。門の入り口で出会った仙石さんは85歳。日に焼けた体躯はがっしりとしていて、腕は丸太を連想させるような太さです。
犬山のこの地で生まれ育ち、昭和の戦前の若かったころは、軍事工場で整備士として働いていたと言います。終戦を迎えて地元へもどり、しばらくは建設業などに従事。それからゴボウや守口大根、白菜やカブなどをつくるようになり、一時は牛も飼い畜産も行っていました。
近年、担い手の不足や高齢化によって、周囲の農家はどんどん耕作を放棄し、その数を減らしていますが、いまも所有する畑を大切に守り、良質な野菜づくりに精をだしています。仙石さんが育てた野菜は、犬山市内で定期的に開かれている朝市で販売されているほか、地元の小中学校の給食にも使われ、好評を得ています。
このへんの土はさらさらとした砂が多く、ゴボウや大根づくりに向いていると言う仙石さん。「この砂地がいい。伏流水がたくさんあって、地下から水があがってくる」と、このあたりの農地がもつ特長について話します。
おいしい野菜づくりのコツを聞くと、「経験でやっている。肥料の管理がよければできる」。ひかえめな態度をくずしませんが、積み重ねた経験から導きだされる知恵は、どんな問いに対しても明確な答えを返してくれます。
そんな仙石さんが大切だと強調するのは、作物を植える前に堆肥をいれて土をつくり、「地力を万全にする」ことです。
現在、所有する畑を管理しているのは、仙石さんただ一人。「1家族3人いないと(農業は)やれん。後継者がやってくれんと維持できん」。日々の作業の負担が重くのしかかりますが、それでも仙石さんにとって、農の営みは生きることそのものなのでしょう。「畑にご機嫌うかがいにいかんと。おはようと」。そう言って目じりをさげて白い歯をのぞかせる仙石さん。いまも毎朝畑に通い、作物の成長をあたたかく見守っています。
失敗せんとわからん
続いてうかがったのは、犬山市の農家のなかでも一番の生産量をほこるという、倉橋守さん。学校給食へ卸す食材も多く、地元の朝市のほか卸売市場にも出荷する、野菜づくりの名人です。
いまは、5月から11月にかけて実るというナスの出荷時期。倉橋さんが所有する広大な耕作地には、2メートル近くもある、背丈の高いナスの畑がずっと先まで続いていました。
現在78歳の倉橋さん。「百姓を60年やってきた」。たわわに実るナスを手にして見せる表情は、自信にあふれています。収穫の最盛期には、畑が真っ黒になるそう。一つひとつのふくらみから枝葉まで、大事そうに見つめます。
倉橋さんの一番のこだわりは、仙石さんと同じ、作物づくりの基盤となる土づくりにありました。土壌にたっぷり肥料を与えることで、十分な栄養分をふくみ、豊かな野菜や果物が育ちます。足下に視線を落とすと、細かく乾いた砂が海浜のようにたい積しています。
もともとこのあたりの土壌は砂地で、水はけもよいことから、耕作がしやすいのだとか。それでも、恵まれた環境に頼るだけでは、立派な実りを得ることはできません。ナスの畑をよく見ると、株の元は保温と保湿のためのマルチと呼ばれる黒いフィルムでおおわれ、畝(うね)の間には土壌が乾燥しないよう、一面にワラが敷き詰められていました。植える苗の間隔一つをとっても、よく成長するよう気配りが行き届いており、何気なく歩き見ている畑には、あらゆる知恵がつまっています。
そんな倉橋さんにも、農業を始めた最初のころは挫折があったそうです。「失敗せんとわからん」。つややかに実る立派な野菜も、めぐまれた環境と、自身が年輪のように重ねてきた経験があるからこそ。じっくり時間と手間をかけて生みだされていくのです。
ナスのほかにもキュウリ、ほうれん草、里いも、トウモロコシ、イチジク・・・・・・。いまも毎日早朝から10時間畑で汗をながすという倉橋さん。たくさんの生命の成長をまじかで感じながら、土と真正面から向きあう生活が続いています。
「自己中心」ではなく「自然本位」で
倉橋さんからお話を聞き終えて、畑からもどろうとしたそのとき、いつのまにか頭上をおおっていた雨雲からポツポツと滴が落ちはじめ、あっという間に豪雨へとかわりました。傘をもたない記者にとっては、突然をおそった天気の気まぐれでしかなかったのですが、乾いた大地に降り注ぐ雨水は、多くの生命にとってめぐみの水となったことでしょう。
いまある風土を大切に守り、そのうえで知恵を活かして実りをさずかる。「自己中心」ではなく「自然本位」で。仙石さん、倉橋さんのお話を通して伝わってきたのは、こうした生き方が根底にある、魅力的な農の営みです。自然への感謝の念と飽くなき探究心をうちに秘め、野菜づくりに黙々とはげむ。そこには間違いなく「農の達人」の姿がありました。(新美貴資)