〈2015年9月17日執筆、2020年5月22日加筆修正〉
澄んだ空気が山あいを包み、広がる青空のもと、清らかな川の流れが躍動する。伝統の和紙作りやうだつの上がる町並みで知られる美濃市。自然と人が長く暮らし、独自の文化を育んできた古里は、豊かな特色にあふれ、訪れる観光客を魅了する。
同市で2014年6月、アユを使った新たな名物「美濃あゆにんめん」が誕生した。「にんめん」とは、アユからだしをとった麺料理のこと。昭和30年代まで、紙すきが盛んだった牧谷地区で食べられていた。呼称の由来は諸説あるが、一説には「煮る麺」から転じて呼ばれるようになったとも伝わる。郷土に眠っていた家庭料理を、うどんとアユを使うことを条件に、美濃商工会議所の認定を受けた市内にある4つの店舗がオリジナルの料理として復活させる。
にんめんを提供する店の1つ、老舗の和食料理「辰巳屋」。店主の尾関範尚さんが、地元への愛着をこめて完成させたアユだしのうどんは、五感で味わうことができる優美な一品だ。
波模様の美濃焼の皿に盛られた、艶やかな稲庭うどんと香ばしい塩焼きのアユ。川エビや季節の野菜の天ぷらも加わり、彩も華やかだ。料理に添えられた、大根の薄皮をまいて明かりを灯すプロの細工は、かがり火をたいてアユを捕る夜網漁を表し、和紙を使った明かりのオブジェが夜の町を照らす、幻想的な美濃和紙アートを想起させる。
うどんは、アユのだしをベースにしたしょう油とごまの2種類のつけ汁で味わう。そこにアユを丸ごと煮込んで作った特製の「鮎みそ」を混ぜると、香魚が持つ独特のほろ苦さが加わり、旨みがぐっと引き立つ。
味の決め手となる鮎みそは、調理を行う過程で偶然に生まれたという。尾関さんが、アユを丸ごとしょう油で炊く赤煮を作っていたところ、うっかり煮詰めすぎてしまう。捨てるのがもったいないからと、ミンチ状にしてみたところ、うどんに合うのではないかとひらめいた。「そのまま一晩おいたらしっとりとして、いい味になったんです。こんな食べ方があったのかと、多くのお客さんがびっくりされます」と笑顔で話す。
にんめんのルーツである牧谷は、同市の北西部、清流の板取川が流れる山あいに位置する。かつては、多くの家で和紙づくりが行われ、食事は紙すきの合間に家族が交代で取ったという。いつでも食べられるよう、うどんは煮くずれしない、硬めのものが好まれた。
鰹節が手に入らない時代、この地域の人々は川魚からだしをとった。アユは囲炉裏で焼き、藁にさしていぶしたものを鍋に入れる。うどんは、畑でとれた小麦を原料に、むしろをかぶせ足で踏んで打った。鍋にはさまざまな野菜も具材に加え、しょうゆや味噌で味をつけたという。
市内で金属製品の製造販売を行う会社を経営する神谷栄一さんが、埋もれたまま消えようとしていた伝統食の存在を知ったのは、今から20年ほど前。以来、復活に向けて多方面に働きかけ、奔走してきた。「にんめんを知っているかと聞いたら誰もわからなくて。いろんな人に尋ねてまわりました」と、当初の思い出を振り返る。
2011年になると、同商工会議所が郷土の味を再現しようと牧谷にある集落の神洞でにんめんの試食会を開く。その2年後には、「食」で地域の活性化を図る「美濃グルメ開発実行委員会」が発足する。著名な料理人の鈴木直登さん(「東京會舘」和食総料理長)を講師に招き、市内の飲食店の参加を得て、だしの取り方などの研究を続け、にんめん作りの試行を重ねた。
関係者の熱意と多くの人々の協力によって、にんめんは3年もの歳月をかけてよみがえる。アユの魚醤や干物などを使い、4つの店がそれぞれ完成させたアユだしのうどんは、どれも料理人の技量が十分に発揮され、風土を生かし創意に富んだ麺料理となった。神谷さんは、「これからもっと仲間を増やしてピーアールしていきたい」と意気込む。
紙すきの里で再生した美濃あゆにんめん。郷土の味は、人々の思いをのせて、未来へと継承されていく。(新美貴資)
※記事中にある価格は、取材当時のものです。