里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(100)」〉鰻谷を探して遡る 愛知県小牧市の大山川

〈『日本養殖新聞』2020年10月25日号寄稿〉

鰻沢、鰻田、うなぎ(へんは魚。つくりは、上から「なべぶた」「回」「日」「一」)廻間……。愛知県には「鰻(他の字体を含む)」のつく地名がいくつかある。きちんと調べてみなければならないが、魚類のなかでもその数は目立って多いと思う。なぜ鰻なのか。いつだれがどのようにして。謎はどんどん深まり、知りたいという気持ちがずっと頭の中にある。

愛知の北西部に位置する小牧市。ここにも鰻のつく地名があった。市内の北東部から中央部にかけて大山川という自然河川が流れている。この源流に「うなぎ(「鰻」と異なる同上の漢字)谷(うなぎだに)」(表記は『愛知県地名集覧』〈昭和44年〉より。以下、「鰻」で統一)と呼ばれる所があると知り、行ってみることにした。

名鉄小牧駅」から市が運営する巡回バスに乗り、市街から東方の郊外へと進む。車窓からの眺めは次第に田畑や林野へと変わる。40分くらい揺られ続けて市内の最北東にある篠岡地区に入り、総合公園の「市民四季の森」で降りた。

公園の門前を通り過ぎ、坂道をしばらく下ると小さな橋がかかっていた。この年上(ねんじょう)橋の下を、小牧が唯一源流をもつ大山川が静かに流れていた。川幅は、見たところ1メートルくらいで水量は乏しい。岸から身を乗り出しのぞいてみたが、魚は確認できず、いるような気配もなかった。

このあたりは丘陵に囲まれた狭い盆地で、まだ刈り取りの終えていない稲が穂を揺らしている。地図で確認すると、水源はここから2キロくらい先の池までたどることができる。この時は、そこがきっと鰻谷なのだろうと思っていた。

年上橋から大山川に沿って500メートルくらい上ると、県道・明知小牧線の旧道に突き当たる。流れの源は北東の山中へと向かっていた。川沿いの道はこのすぐ先で終わり、進むことができない。しかたがないので迂回し、源流の方面に通じている同線の新道から辿ってみることにした。

後で知ったのだが、大山川が流れる旧道のすぐ北に「白い階段状の砂防ダムのような形状」(『小牧の川・用水』小牧市教育委員会発行)をした「鰻谷ダム」がある。このダムを境に上流側は「鰻谷川」になるのだという。鰻のつく地名は、すぐ目の前にあったのだ。

事前に十分調べることをせず現地に急行してしまった私は、すぐ近くに鰻谷があったのを見逃し、山の奥にある池を目指してしまう。

新道の坂道を40分くらい上り続けると、大洞(おおぼら)池と眼鏡池の2つの連続したため池が現れる。途中の道も池も、あたりは樹海におおわれ、鰻谷川がどのように流れて源流がどこにあるのか、池とのつながりもわからなかった。しかし、このあたりの広大な山林が、鰻谷川の水源になっているのだろうということは実感できた。

昔、ここで暮らす人びとは大山川でウナギを捕まえ食べていた(参考『篠岡百話第七集』小牧市立篠岡中学校発行、1976年)。鰻谷の由来に関する手掛かりは何も得られなかったが、探求は始まったばかりである。さらに現地を歩き、郷土史を読み、人を訪ねたい。

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鰻谷ダム。ここから谷の奥へは行くことができなかった

 

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