里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。111」】河原から多自然を考える 川と陸をむすぶ大切な存在

〈『日本養殖新聞』2021年9月15日号寄稿〉

ウナギとミミズの関係を知ってから、河原のことが気になるようになった。

河原は、大雨が降るたびに冠水する。そして、そこにある多くのものをかき混ぜ流してしまう。生き物にとっては、生育するうえでとても条件の悪い環境なのに、そのようななかでも植物は生え、暮らす昆虫がいる。

河原をおおっているものが大きな石か小さな石か、砂か土かによっても環境は大きく異なるが、このようなニッチな厳しい所で生息することに、どんなメリットがあるのだろう。そこには生き物のしたたかな生存戦略があり、生き抜くための厳しい競争があるはずで、新型コロナであわてふためく人間よりもずっと確かなたくましさを感じる。

連日続いた雨がようやく止んだ日、近くを流れる香流川(かなれがわ)の河原を観察してみた。

住宅が密集する中を流れる小河川だから河原の広さは十分にないが、中流から下流までを自転車で進み、所々で止まり堤防から階段を下り水際まで行ってみた。

地盤がコンクリートでしっかり固められた所もあれば、数メートルもないわずかな幅ではあるが砂や礫からなる河原があり、そういう砂礫がある所は、水際から堤防の内側にかけて植物がびっしりと生え、いろんな姿をした河原があった。

見ていてわかったのは、堤防から水際までコンクリートで固められている河原の生態系は、陸の上だけでなく川の中もとても貧弱であるということ。生えている植物は種類も数もかなり少なく、陸と川のつながりがコンクリートの壁によって絶たれ、水の流れは排水路のように直線的で水深や流速の変化に乏しかった。こういう所は、陸にも川にも生き物がほとんどいない。

一方で河原が砂礫になっている所は、夏場ということもあるが、足を踏み入れることができないくらい植物が密生し、気づいたら足の何か所かを蚊に食われ、猛烈なかゆみに襲われた。

植物が豊富な河原には昆虫などの生き物も多く、川面に落下したそれらは魚の貴重な餌になっているはずだ。また、水際に生える草の影や密集した茎や根の間にできる隙間は、魚が隠れる場所にもなるだろう。そういう所には多くの水生生物が集まり、食物連鎖も活発なのではないか。

下流には、小石の河原もわずかにあった。植物はまばらであったが、流れのない小さなワンドにはオイカワと思われる稚魚がたくさん泳いでいて、一匹のコイが水しぶきをあげていた。

ウナギが棲める多自然な川を取り戻すためには、本流だけでなく、川と陸の間をむすぶ河原も含めて、生態系のつながりや物質の循環のことを考えていかなければならない。

水中から見て、陸上は異界であり、また逆もそうだ。河原は、海の干潟と同じように異なるもの同士の境界にある「緩衝」であり「あいまい」で「中庸」な存在なのかもしれない。こうした所がとても大切なのではないかと、分断と対立を深め、寛容さを失った今の社会に重ねて思った。

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河原に植物が生えている所は陸と川のつながりがある。生息している生き物の種名について調べてみたい

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