里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。(125)」】名古屋の巨大鰻 江戸時代の中川を探訪する

〈『日本養殖新聞』2022年11月15日号寄稿〉

名古屋に巨大鰻が現れる。そんな出来事が150年以上前の江戸時代にあり、当時の人々を驚かせたようだ。

巨大鰻が出現した場所は、現在の「ささしまライブ駅」(中村区)近くから名古屋港(港区)を結ぶ中川運河で、当時は中川という川が流れていた。

1853年(嘉永6年)頃に完成した尾張の地誌『小治田之真清水』(おわりだのましみず)に「大鰻鱺(おおうなぎ)」とあり、文章と絵によってこの時の様子を伝えている。

それによると、中川筋には多くのウナギが棲んでいて、大きなウナギもたまに見ることがあったが、里の人たちはこの大きなウナギを捕まえようとはしなかった。しかしある時、尾州中野村の水辺に「其種類の王」のような巨大なウナギが現れたので、捕まえようと縄でくくり五、六人で引っ張ろうとしたが動かず、逃してしまったという。(参考『中川区情報スポットライト第二弾』〈中川で巨大うなぎ発見⁉名古屋の鰻・蒲焼事情 江戸時代編〉中川図書館、平成24年)。

中川区史』や『角川日本地名大辞典 二三 愛知県』(角川書店)、『愛知県の地名』(平凡社)によると、中川は、源流から中流までを笈瀬川(おいせがわ)と呼んだ。大昔は、その流域が伊勢の神領であったことから、御伊勢川と称したのが始まりだという。現在の西区を源流とし、名古屋駅のすぐ西を流れ、熱田新田を経て伊勢湾に注ぐ、長さ約8キロの川であった。

大正時代まではきれいな川で、コイやナマズなどの魚を捕ることができたが、1930年(昭和5年)に水運と排水の便を図るための大規模な改修が行われ、中川運河が完成する。同時に笹島より以北の上流の川筋は、埋め立てられた。

巨大なウナギが現れた「尾州中野村」とは、どのあたりか。中川を境とする東にあった中野村は、現在の中川区元中野町や中野本町を含んだあたりで、今も地名が残っている。「日比野駅」(熱田区)から西へまっすぐ1キロくらい進むと、中野村のあった地域に入る。道沿いには商店が並び、後背には宅地が続く閑静な所だが、江戸時代は田畑が広がるのどかな水郷だった。

さらに西へしばらく直進すると、中野村の西端となる中川運河が南北に走り、「中野橋」がかかっている。橋の中央から運河を眺めると、両岸は運輸会社の倉庫がずらりと建ち、静かな水面はまぶしく輝いていた。

『小治田之真清水』では、悠々と泳ぎ去っていく数メートルはありそうな巨大鰻と、切れた縄を手にして転んだり、巨大鰻を悔しそうに見つめたりしている男たちの姿が描かれている。岸辺には、川面をおおうように生い茂る大木が描かれているが、それが中野橋のたもとに生えていた木と重なって見えた。

まわりの風景をしばらく眺めて引き返そうとしたその時、1匹のボラが跳躍し、姿を現した。この運河にウナギは今もいるのだろうか。海とつながっているから、その可能性は高い。生息しているそのなかに、主のような太いウナギがいるかもしれない。昔の人が驚愕した奇事の光景が、鮮やかによみがえった。