里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。(126)」】三河のウナギ伝説 坂上田村麻呂と鰻塚

〈『日本養殖新聞』2022年12月15日号寄稿〉

愛知県内にウナギの伝説があった。愛知は、ウナギの生産と消費が盛んで、食文化が栄えている。また、県内には「鰻」の付く地名が多い。愛知とウナギには、深いつながりがある。

だから、神の使いであるウナギに導かれた侍が、村人に悪さをする妖鬼を退治したという、岐阜県郡上市の粥川(かゆかわ)に伝わるようなウナギにまつわる昔話が、県内のどこかに眠っているのではないか。そのような期待を抱いて、探し続けていた。

きっかけは、自分の机の上に積んであった本のうちの一冊、松井魁著『うなぎの本』(丸ノ内出版、1971年)である。ページをめくっていたら、「鰻と伝説」の章に「愛知県宝飯郡長沢村の泉竜院の鰻塚」とあり、当地に伝わる話が書いてあるではないか。その話を要約すると、以下のようになる。

昔、長沢の西のはずれに沼があった。この沼に、大うなぎの化け物が棲みつき、地域の人を悩ませていた。この地に立ち寄った坂上田村麻呂が、この化け物を退治したが、その後、沼の水をくんだ者が次々と疫病にかかってしまった。人々はたたりだと恐れ、祠を建てその霊をなぐさめた。この祠が、今の赤石神社だという(参考:『広報とよかわ』No.1671、2014年1月1日、豊川市役所)。

 伝説の舞台は、愛知の東南部に位置する豊川市長沢町である。かつての長沢村で、その後に近隣の町村と合併して音羽町(おとわちょう)になり、2008年に豊川市編入した。音羽川流域の山間地で、谷あいに民家が続く、稲作を主とする閑静なところである。

名鉄名古屋駅」から約1時間乗車し、長沢町の中心部にある「名電長沢駅」で降りる。そこから太い束となって町をつらぬく東名高速道路名鉄名古屋本線、国道一号のそばを沿う旧東海道を北西に進む。1キロくらい歩くと、田畑が広がる「日焼(ひやけ)」という地区に入り、丘陵に赤石神社が建っている。

境内にある由緒書によると、創立は「延暦年間諏訪大明神ノ分霊を勧請スル」と書いてある。延暦年間は782年から806年までの期間で、今から1200年以上前になる。

社殿は、元は町の北端の「西千束(にしせんぞく)」という地区にあったが、永仁年間(1293-99年)にこの地を治めた番場太郎致由が、登屋ケ根城(とやがねじょう)を築くにあたりこの土地を寄進。城の守護神として社殿を造営し、遷座(せんざ)したという。

音羽町史(資料編三)近代』(2002年)によると、殺された巨大なウナギは沼のほとりに埋められ、塚が築かれたという。それが「鰻塚」で、西千束にあると書かれている。さらに、同書や『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』(県教育委員会)には、西千束に「鰻塚城」があったという驚くべき記述もある。

今回、西千束のあたりも歩いてみたが、人気のない山林が広がるばかりで、鰻塚や鰻塚城についての手掛かりは何も得られなかった。多くの謎を秘めている長沢町のウナギ伝説。今後さらに詳しく調べてみたい。