里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。(168)」】完全養殖への期待と課題 求められる適正なルール

〈『日本養殖新聞』2026年6月15日号寄稿〉

完全養殖のウナギがこのほど、世界で初めて一般向けに試験販売された。このウナギは山田水産が育てたもので、同社は水産庁の委託事業で完全養殖の量産化に取り組んできた。

ニホンウナギの完全養殖の研究が始まったのは1960年代。以来、人工ふ化や仔魚を育てる研究とあわせ、太平洋で産卵場を探す調査も進む。そして仔魚の生態が徐々に解明され、謎に包まれていたウナギの実相が明らかになってきた。

長年にわたる多くの研究者のたゆみない努力の積み重ねが、今日の成果をもたらした。人工ふ化によって育てた親魚から卵を採り、再び成魚になるまでを人間が育てる。このサイクルを完結させた完全養殖の実業化は、多くのウナギ関係者が待ち望む悲願であろう。

将来、安定した質の種苗を安価で量産できるようになれば、絶滅危惧種である資源の保護と流通の透明化に貢献できるし、養鰻業者は、稚魚である天然のシラスウナギの不漁時に、養殖池に入れる不足分を人工種苗によって補うことができるようになるはずだ。そうなれば、ウナギの不安定な供給は改善され、その恩恵を消費者も受けることができるようになるだろう。

ウナギ業界は長い間、シラスウナギ漁の不振とそれにともなう相場の高騰によって、先の読めない経営を強いられてきた。ウナギを扱う多くの事業者は、こうした不安に頭を悩ませてきたに違いない。完全養殖の量産化は、ウナギ産業の持続性が確保され、長期の展望が描けるようになることを意味する。

ニホンウナギには、低位な資源量と稚魚の不漁という不確実なリスクがある。この状況は、早期には好転しないだろう。完全養殖によって育成された種苗や成魚が、従来の天然ものや養殖ものとそん色ない品質と価格で提供できるようになった時、生産されるウナギは工業製品のような扱いになるのかもしれない。そして、これまでの経済活動の範ちゅうを超える大きな変化を国内外のウナギ業界にもたらす可能性がある。

完全養殖には、国の研究機関による主導のもと、いくつかの民間企業が技術の確立に取り組んでいる。生産にかかるコストが改善され、安価なウナギの量産が可能となれば、それを受けて多くの企業が外食などの分野に参入してくるに違いない。その結果、ウナギ産業は流動化し、市場をめぐる競争は今よりも激しくなることが予想される。

これから先を展望するうえで課題となるのは、確立された完全養殖の技術をどう移転し、社会へ導入を図っていくかである。また、生産された種苗や成魚が、必要とする零細な養鰻業者や問屋、ウナギ専門店などの小規模な事業者に適正にいきわたるような、公正な取引のルールと仕組みづくりも必要になってくるだろう。そして改めて思ったのが、天然の資源を守る取り組みの重要さである。

期待がふくらむのと同時に新たな課題も見えてくる完全養殖。未来を見据え、ウナギ資源の持続的な利用について考えていきたい。

「ウナギの想いを探る名古屋シンポジウム」開催の記事が日本養殖新聞で掲載されました

〈『日本養殖新聞』2026年5月25日号掲載〉

「ウナギの想いを探る名古屋シンポジウム」が5月17日(日)午後1時半より、愛知県名古屋市港区の名古屋港ポートビルで開かれた。

主催は、森里海を結ぶフォーラムで、第一部に講演、第二部に現場からの報告が行われ、五名の専門家らが登壇。会場には百人を超える人びとが来場し、ウナギをめぐるさまざまな発表について熱心に聞き入った。

この催しは、身近な絶滅危惧種であり、海と川を行き来するニホンウナギに関心を持ってもらおうと、同フォーラムの田中克代表と地元の有志らが協力して企画した。同氏が編集にかかわった『ウナギの“想い”を探る』(花乱社)が2024年に刊行されたのを契機に全国各地で連続シンポジウムが開かれており、その一環として名古屋でも開催された。

冒頭、開会の挨拶を田中代表が述べ、瀬戸SOLAN学園初等中等部の三倉志仁教諭が趣旨説明を行った。

第一部の講演では、京都大学大学院農学研究科の三田村啓理教授が「ニホンウナギの行動・生態を探るバイオロギング」、児童文学作家の阿部夏丸氏が「ウナギってすごい生き物!ウナギと楽しく遊ぶ」と題して報告した。

三田村教授は、ウナギは夜になると餌を求めて川を行き来し、規則正しい生活をしているなどと研究の成果を説明。阿部氏は、ライフワークの川遊びについて紹介し、捕まえたウナギと子どもたちの生き生きとした姿を伝えた。

第二部では、いはらの川再生PJの伏見直基代表が「石倉カゴによるウナギモニタリング調査」、愛知県水産試験場の稲葉博之主任が「ウナギの雌化とその意義」、ライターの新美貴資氏が「ウナギと愛知のつながり」について発表した。

参加者からは多くの質問が寄せられ、発表者との間で活発に意見が交わされた。

【新美貴資の「めぐる。(167)」】幸せは金や名誉ではない 尊い職人としての生き方

〈『日本養殖新聞』2026年5月25日号寄稿〉

幸せとは、なんだろう。どうすれば手に入れることができるのか。成長の限界、格差の拡大、環境の破壊……。資本主義が行き詰まり、先の読めない不安がおおうなかで、本当に大切なのは金や名誉でないことに、多くの人が気づき始めているのではないだろうか。

現代のプラットホームであるSNSで多くの人とつながって、投稿した文章や写真にたくさんの「いいね!」をもらっても、満たされない渇望を生み続けるだけである。自己の承認は、現実の社会における他者や地域とのかかわりを抜きにしてはありえない。

生きる喜びは、地に足のついた暮らしの日常にある。おりのように積もった虚栄をはぎ取り、無になった心を透かしてみると、真の幸せがなんなのか、わかってくるような気がする。

地震と豪雨で被災した奥能登を舞台にしたNHKのドラマ「ラジオスター」(13話)で、ラジオパーソナリティーを務める主人公の柊カナデが、地元の輪島塗と珠洲焼の職人にこだわりをインタビューする場面がある。それぞれの職人を演じた役者の言葉を、長くなるが以下に引用する。

〈輪島に生まれて育って、漆の仕事だけ四十年している。器は人と人をつなぐ、橋やと思っております。わたしは漆を塗るというのは、命を与えることやと思っています。昨年の地震で自宅も工場も全壊して、豪雨で漆も道具も土砂にのまれました。ほんでも廃業する気はありません。輪島塗にとって、本当の脅威は、自然災害でなしに、儲けを優先して本来の堅牢さを失っていくこと。時給にすりゃ数百円の世界、お金にはなりません。自分が作ったっちゅう名前もどこにも明記されません。そやけど、俺たちは金や名誉のために生きとるわけではねえ。他のものと比べるのではなしに、自分を、暮らしを、人を大事にするために命を吹き込んどるんや〉

もう一人の職人が続く。

〈それまでの僕は足し算の人生を送っていたんです。いい会社に勤めて、いい給料をもろうて、いい家に住んで、いい車に乗って。そういう豊かさを求めておったんですけど、いろいろあって疲れてしもうて。そんな時に珠洲焼に出会って、そぎ落された姿、見えんもんの力が珠洲焼には宿っとるように感じてのめり込みました。そしたらどんどん身にまとった価値観とか競争心とかが脱げていって、気づいたらなんも着飾る必要やないがになって。精神的に裸にされたというか、素の自分に戻れたんです〉

職人として働き、生きることがどれだけ尊いか。手作りに徹する愚直で一途な生き方がまぶしい。

地域に根を生やし、他者とかかわりながら、なにかを作ったり、だれかのために汗をかいたりする。わたしはそういう人を何人も見てきた。いろいろなとらえ方がある幸せについて、一つ言えるとすれば、それは他人が決めるのものではないし、他人と比べるものでもないということ。大事なのは、自分の生き方を肯定できるかどうか。幸せは、自分の中にあって、見いだしていくものだと思う。