里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

新美貴資の「めぐる。〈140〉」問われる専門店の真価 特別な価値をつくる

〈『日本養殖新聞』2024年2月15日号寄稿〉

先日、牛丼チェーンの吉野家で鰻重を食べた。驚いた。予想していた味よりも、ずっと食べやすくて満足感を覚えたからだ。別の日には、名古屋市内に昨年開店した、ウナギ専門の格安チェーンである「鰻の成瀬」にも行って食べてみた。

会社のホームページやメディアの情報などによると、どちらの店のウナギも中国産の加工品を使っているようだ。食べたウナギは肉厚でやわらかく臭みがない。タレもそれほど甘すぎず、嫌な後味が口の中に残らなかった。鰻重は、吉野家が1枚盛で1207円、鰻の成瀬が梅で1600円。両店ともに半尾くらいが使われていた。この値段で、これだけの味と量のウナギを味わうことができれば十分であり、客の支持を受けるだろう。

こうした店が近くにあれば、また行きたい。じつは吉野家には、今年に入って3度訪れウナギを食べている。牛丼チェーンで唯一通年でウナギを提供している料理からは、開発担当者たちの強い意気込みが伝わってきた。

味だけを見れば、ウナギ専門店が提供するものと工場で加工されたものには、圧倒的な差がある。1匹ずつ状態を見極めながら目の前で職人が調理したものと、コストを重視して機械に頼り同じ製法で大量生産されたものとでは、その違いは明らかである。味という点において、専門店の優位は今後も揺るぎないだろう。

しかし、専門店の料理と加工品との味の差は、これから徐々に狭まっていくのではないか。加工品の製造や流通における技術のめざましい発展によって、その品質は今後さらに向上していくことが予想されるからである。

専門店がかなりの部分を占めているウナギの外食分野には、大きな商機が眠っている。そこを狙い、良質な加工品を店舗で安価に提供する外食チェーンなどが、今後さらに参入し拡大していくと私は見ている。

ウナギの格安店は、郊外への進出を強めている。都心から離れた立地でこれまで一定の商圏を保ち、常連客を集めてきた地域の専門店にとっては、手ごわい競合相手となるだろう。

安価を売りにした多様な形態のウナギ店が増えている現況は、専門店だけであった時代から持ち帰り、回転すしへと業態を広げ、需要を開拓していったすし業界の変遷を思い起こさせる。

時代は変わる。ひょっとしたら、加工品を扱うチェーンが、何十年か後にはウナギの外食の主流になっているかもしれない。原料も人も価値も、あらゆるものすべてが移り変わっていく。変わらないためには、変わらなければならない。

だが、おいしさは味だけではない。店主や女将の人柄、真心のある接客、その店が持つ独自の雰囲気などは、チェーン店にはつくれない。そこに専門店の強みがある。ここでしか味わえない、体験できない感動を提供し、思い出に残る物語と特別な価値をつくることができるのだ。

世の中では、新たな商品や価値がどんどん生まれている。まさに専門店の真価が問われる時代に入った。

新美貴資の「めぐる。〈139〉」モノづくりへの憂慮 真面目な職人を応援

〈『日本養殖新聞』2024年1月25日号〉

2024年は重く苦しい年明けになった。能登半島地震羽田空港の衝突事故、北九州市の大規模火災……。痛ましい災害や事故などが各地で起き、おめでという言葉を発することも、耳にすることもほとんどないままに年始を過ごし、今日に至っている。

能登を訪れたことはないが、沿岸漁業水産加工業が盛んで独自の漁村文化を持つ歴史の深いところという印象を持っており、いつか行ってみたいと思っていた。養殖業も深刻な被害を受けている。義援金の送付や地産品の購入はすぐにでも行動に移せる。被災地の復旧がある程度進んだら、滞在することも支援につながるだろう。書くことでなにか協力できることはないか、毎日の報道に接するなかで考えている。

そして昨年から積み残されたままの問題も多い。政治、経済、芸能の世界において続発した不祥事は、そのほとんどが解消されないまま課題を先に延ばし、この国が抱える病根の深さをあらわにした。社会の底が抜け転落の止まないなか、私が憂慮しているのはモノづくりの行く末である。

日本の製造業の凋落が止まらない。自動車業界では一昨年に日野自動車、昨年は豊田自動織機ダイハツ工業の品質不正が明らかになった。国のモノづくりをけん引してきたトヨタグループの相次ぐ不正な行為に、この国の製品に対する信頼は大きく揺らいだ。

利己の肥大と想像の衰退という心の空洞化が、このような問題の根底にひそんでいるのではないか。目先の自分の利得ばかりを考える新自由主義が、長い年月をかけて日本人の精神をむしばんできた。経済を優先してきた近代のひずみが、今のような不徳がはびこる世の中をもたらしたように私には見える。

一方で、市井には善意と利他の心を失わず、市民の暮らしを支えるために献身している人びとがいる。

私には身寄りのない高齢の伯父、伯母がいて、3年くらい前から面倒を見続けてきた。今年の春に伯父は亡くなり、伯母は重い認知症で要介護の認定を受けて老人ホームに入所している。昨年を振り返ってみても、多くの方のお世話になった。伯父を見送る際には、葬儀の前に湯かん師が簡易浴槽を使って遺体をていねいに洗い流し、顔に化粧を施してくれた。一口に医療や介護、葬祭といっても、そこにはたくさんの職務があり、私たちの命が尊ばれ、暮らしが成り立っている。

ウナギを育て、選別して運び、調理することも人に幸せを届けるすばらしい仕事である。誇りを持って真面目に取り組んでいるモノづくりの職人は、この国にまだ多くいる。私はそういう人たちを応援したい。社会が高齢化と人口減少に直面するなかで真心と思いやりを共有する、地域や組織や立場にとらわれないゆるやかなつながりがますます重要になってくるだろう。

今年は明かりに向かって進む一年であってほしい。そして言葉の力を信じたい。この世界の将来に期待が持て、一人ひとりの心のなかが生きていく希望で満ちあふれる。そのような年になることを祈っている。

天然ウナギの蒲焼き。漁獲から調理までいくつもの工程をへて作られる

岐阜県各務原市のライフカレッジで講師を務めました

2024年1月16日、岐阜県各務原市の稲羽東福祉センターで開かれたライフカレッジの講師を務めてきました。ライフカレッジは、60歳以上ならだれでも参加できる、同市で実施されている市民の方を対象にした講座です

今回は「水産業とさかなについて学ぶ」をテーマに、これまで東海地方を中心に取材で撮影した写真などを紹介しながら話題を提供してきました。

講座では、以下のような内容をお話ししました。

水産業とわたしたちの暮らし

②東海地方の魚食文化

③魚から環境を考える

④ウナギのあれこれ

⑤おさかなクイズに挑戦

東海地方には豊かな魚食文化があること、山と川と海はつながっていること、水産業にはたくさんの仕事がありわたしたちの食が守られていること、職人はまた多くの職人に支えられていること、などをお伝えさせていただきました。聞いてくださったみなさんの心のなかに、なにか残るものがありましたら幸いです。