里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

新美貴資の「めぐる。〈139〉」モノづくりへの憂慮 真面目な職人を応援

〈『日本養殖新聞』2024年1月25日号〉

2024年は重く苦しい年明けになった。能登半島地震羽田空港の衝突事故、北九州市の大規模火災……。痛ましい災害や事故などが各地で起き、おめでという言葉を発することも、耳にすることもほとんどないままに年始を過ごし、今日に至っている。

能登を訪れたことはないが、沿岸漁業水産加工業が盛んで独自の漁村文化を持つ歴史の深いところという印象を持っており、いつか行ってみたいと思っていた。養殖業も深刻な被害を受けている。義援金の送付や地産品の購入はすぐにでも行動に移せる。被災地の復旧がある程度進んだら、滞在することも支援につながるだろう。書くことでなにか協力できることはないか、毎日の報道に接するなかで考えている。

そして昨年から積み残されたままの問題も多い。政治、経済、芸能の世界において続発した不祥事は、そのほとんどが解消されないまま課題を先に延ばし、この国が抱える病根の深さをあらわにした。社会の底が抜け転落の止まないなか、私が憂慮しているのはモノづくりの行く末である。

日本の製造業の凋落が止まらない。自動車業界では一昨年に日野自動車、昨年は豊田自動織機ダイハツ工業の品質不正が明らかになった。国のモノづくりをけん引してきたトヨタグループの相次ぐ不正な行為に、この国の製品に対する信頼は大きく揺らいだ。

利己の肥大と想像の衰退という心の空洞化が、このような問題の根底にひそんでいるのではないか。目先の自分の利得ばかりを考える新自由主義が、長い年月をかけて日本人の精神をむしばんできた。経済を優先してきた近代のひずみが、今のような不徳がはびこる世の中をもたらしたように私には見える。

一方で、市井には善意と利他の心を失わず、市民の暮らしを支えるために献身している人びとがいる。

私には身寄りのない高齢の伯父、伯母がいて、3年くらい前から面倒を見続けてきた。今年の春に伯父は亡くなり、伯母は重い認知症で要介護の認定を受けて老人ホームに入所している。昨年を振り返ってみても、多くの方のお世話になった。伯父を見送る際には、葬儀の前に湯かん師が簡易浴槽を使って遺体をていねいに洗い流し、顔に化粧を施してくれた。一口に医療や介護、葬祭といっても、そこにはたくさんの職務があり、私たちの命が尊ばれ、暮らしが成り立っている。

ウナギを育て、選別して運び、調理することも人に幸せを届けるすばらしい仕事である。誇りを持って真面目に取り組んでいるモノづくりの職人は、この国にまだ多くいる。私はそういう人たちを応援したい。社会が高齢化と人口減少に直面するなかで真心と思いやりを共有する、地域や組織や立場にとらわれないゆるやかなつながりがますます重要になってくるだろう。

今年は明かりに向かって進む一年であってほしい。そして言葉の力を信じたい。この世界の将来に期待が持て、一人ひとりの心のなかが生きていく希望で満ちあふれる。そのような年になることを祈っている。

天然ウナギの蒲焼き。漁獲から調理までいくつもの工程をへて作られる