里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

【新美貴資の「めぐる。〈147〉」】多様化する蒲焼店 人間も生態系の一員

〈『日本養殖新聞』2024年9月15日号寄稿〉

多様であることは豊かであること。

最近、この言葉の持つ意味を考えている。本紙2017年5月25日号の連載で長良川のアユ漁のことを書いたが、その中で私はこの言葉を使っている。

多様とは、いろいろな種類があることをいう。そして、その状態を表す「多様性」という言葉が現代にはあふれている。しかし、この言葉を発する側は、どこまで真意を理解し伝えているのか、疑問に思うことがある。

では「生物多様性」について、最近の出来事から思うところを書いてみたい。岐阜県を流れる「清流長良川の鮎」は、15年に世界農業遺産に認定されているが、この川をめぐる施策は迷走を続けている。

報道によると、今年2月に長良川漁協が川の一部に開設した釣り堀から、雨の増水によって約3000匹のニジマスが川に流出してしまう。生態系への影響が懸念される事態になり、釣り堀は批判を受けて閉鎖された。この釣り堀の開設には、行政の後押しがあったようである。ニジマスは、侵略性の高い「産業管理外来種」に指定されている。

アユの放流をさらに増やそうとしたり、ニジマスの流出が容易に想像できる場所に釣り堀をつくったりすることが「清流」で「里川」なのだろうか。伝統の継承を大義に掲げる一方で経済的な利益を優先し、川を改変し続ける。川の声を無視するこのような活動に、世界農業遺産の証となる「生物多様性」を守る思想は反映されているのだろうか。

河口堰を抱える長良川は、日本の環境問題の縮図といえる。過去の反省と未来の想像を欠いてはならない。人間もまた生態系を構成する一員であり、生かされている存在であることを忘れてはいけないのである。

冒頭の言葉は、津々浦々の漁村で見聞した「なりわい」や「くらし」から引き出されたものである。海や川での漁、魚市場でのセリ、漁家の料理、祭り、言い伝え…。その一つひとつが固有の存在として、画一化が進む都市の新興住宅地で育った私の目にはあざやかに映った。海や川や山の「むら」は、多様さに満ちた重層な共同体として、今も生きている。

一方で、都市の商いにも多様な形態を見ることができる。愛知県名古屋市内の都心の蒲焼店には、それが顕著である。かつては、いくつかある老舗を中心に手堅い商売が営まれ、大きな変化は見られなかった。それがこの十年くらいの間に出店が相次いで、様相はがらりと変わった。

県内外の蒲焼店が進出や拡大し、ウナギ問屋や異業種からの新たな参入もあった。店の業態もさまざまで、セルフサービスや立ち飲みもあり、高級店から格安店まで価格帯も幅広い。ウナギを食べる選択肢が広がったことは、客にとってはありがたいことだろう。

多様化する蒲焼店の商いは、種を残すため変化に適応しながら競争し、生き残りをはかる生物界とどこか重なる部分があるのかもしれない。限りある需要のなかでの磨きあいは、さらなる進化と発展をもたらすに違いない。