里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(81)」〉長良川の文化をどう守るか 奪われた生命の循環

〈『日本養殖新聞』2019年3月15日号掲載、2020年4月18日加筆修正〉

1月、岐阜市長良川を歩いた。鵜飼い大橋から下流を望むと、異様な光景が広がっていた。何台もの大きな重機が川の中に入り、川底を掘削したり、砂礫を運んだりしている。天然アユが付く金華山の麓のあたりの淵や中州は、大量の砂礫によって埋め立てられ、姿を消していた。

そして、盛り土によって流れを止められた水が、池のようにたまっていた。この光景を目にしてわいた怒りと失望は、今も胸のなかで渦巻いている。3月に再び訪れると、一帯の埋め立ては完了し、用水路のように狭められたまっすぐな川ができあがって、とても窮屈なものに見えた。

ここは、地元の川漁師にとって、大切な漁場だった。アユを捕り、収入の多くを稼ぎ、家族を養ってきた。漁期中は毎日漁を行い、魚の様子や石の場所、付着するコケの状態など、少しの変化も見逃さない庭であった。

昨年12月、河川改修という名の環境破壊が国交省によって始まる。改修工事は、鵜船を航行しやすくするために実施されたという。長良川鵜飼が行われる期間中、鵜船は毎夜この川筋を通る。変化する自然のなかでうまく適応し、長く続けられてきたのが鵜飼いではなかったのか。

天然アユの生息場を壊して行う伝統漁とは、なんなのか。人間の勝手な都合で川の流れを変える。そして、都合のよい魚を、好きな数だけ放流して捕る。そこに「文化」という言葉がどんな意味をもつのだろうか。

改修工事によって、そこにあった早瀬や大岩も消えた。湧水も失った。カワヒガイという貴重な魚の群泳が見られ、この魚が卵を生みつける二枚貝もいたという。アユやサツキマスの生息場であり、たくさんの生き物の命の循環が繰り返されてきた、川のゆりかごが奪われてしまった。

人工的な改変によって、どれだけ流れに手を加えても、自然の力によっていつかまた戻され、淘汰されるだろう。

世界農業遺産の認定を受けた「清流長良川の鮎」。人の生活、水環境、漁業資源が連関する里川の循環が「長良川システム」として評価された。そのシステムの重要な担い手で、川の守り人である漁業者は、高齢化と減少が深刻だが、支援や育成を図ろうという話は聞こえてこない。

文化には、自然のなかで暮らす人間が生き延びるため、生みだし磨いてきた知恵や技という部分があるのではないだろうか。であるならば、文化をつないでいくことには重要な意味があるし、自然とともに、そうした知恵や技もまた守っていかなければならない。

長良川が世界に誇るべき里川であるのならば、観光資源として開発・利用するだけであってはいけない。遺産の登録を推進した岐阜県や上中流域四市、関係団体は、長良川を後世まで保全する責務を負っていることを強調しておきたい。

河口堰、建設が進む内ケ谷ダム、計画が持ち上がっている導水路事業など、流域の環境に悪影響を及ぼす大きな問題を、長良川はいくつも抱えている。

守り人がいなくなった時、川の声を伝える者はいなくなる。漁労文化の継承はそこで途絶え、里川は大きく衰退するだろう。残された時間は、もうそんなに長くはない。長良川の文化を守るため、川とどう向き合っていくのかが今問われている。

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