〈『日本養殖新聞』2020年5月10日号寄稿〉
新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が出されて3週間が経過した。この原稿を書いている今も、予断を許さない緊迫した状況が続いている。
名古屋市のはずれにある私の町も、多くの店が休業し、通りからは人が消え、走る車も減った。まるでゴーストタウンのようである。今まで目にしたことのない町の様子に、歩いていると奇妙な感覚に襲われ、これは夢かと思う時がある。
新型コロナが猛威を振るい始めてから思い出すのは、宣言が発令された4月7日の夜のことである。いや、翌日に発出されることが報道されていた、その前夜だったかもしれない。
近所のスーパーに入ると、トイレットペーパーもティッシュペーパーも全てなくなっていた。インスタントやレトルトなどの食品が並ぶ売場も空いた棚が目立ち、多くの従業員が商品の補充作業に追われていた。
この頃から、町をおおう空気は緊張の度合いをさらに高め、一変した。そして、東日本大震災後にこの国をおおった重苦しい記憶が、私のなかでよみがえった。
東日本大震災も福島原発事故もいまだ終息していないなか、コロナ禍は、この国が乗り越えなければならない新たな試練になった。
この感染症が恐ろしいのは、それがもたらす病気や、人から人へと移る目に見えない病原体だけではない。人間にとって欠くことのできない「社会の連繋」を奪ってしまった。
どれだけ文明が進歩しても、人間はお互いに顔を合わせ、言葉や表情やしぐさから共感を深める。そういう確かな実感が得られなければ、生きていけない生き物だと思う。
だから孤立してはいけないし、させてもいけない。私は独り暮らしだが、今の状況では、誰とも会って話をすることはできない。時々親しい人と電話やネットを使い会話をすることで、他者とつながっていることに安堵し、自分の存在を確かめている。
運動不足を解消するため、最近は昼下がりに30分くらい、学区内の同じコースを毎日歩いている。その途中で氏神様を拝み、公園のベンチに腰を下ろす。日光を浴び、そよ風を受け、木々の匂いをかぐ。それだけで気持ちが穏やかになる。
未知なる感染症は、足元にあったものが、実は大切なものであったということに気づかせてくれた。
コロナが終息した後、世の中は大きく変わるだろう。地域のなかにおける「循環」や「連帯」といったものが見直され、取り戻そうとする人たちによる新たな動きが生まれるかもしれない。
こんな状況だからこそ、できることはあるはずだ。自分がなんのために生き、なにが大切で、どうありたいのか。今できることに努めながら考えたい。