里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(96)」〉感動と喜びを提供する ウナギ職人はすばらしい仕事

〈『日本養殖新聞』2020年6月15日号寄稿、2020年8月9日加筆修正〉

新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が5月25日、全面解除となった。愛知県は、それより早い14日に対象区域から解除され、私が暮らす名古屋の町も人や物が動き出した。

今懸念しているのは、コロナ不況による倒産や事業縮小などから職を失ってしまった、またこれから失ってしまうかもしれない人びとのことである。世の中が明るさを取り戻しつつあるなかで、光を失い苦しみもがいている人がたくさんいる。そうした人びとの存在を忘れてはいけない。自分が生かされていることへの感謝と、他者への慰労の気持ちを噛みしめたい。

コロナ禍によって、これまでの金銭至上主義からの脱却が問われている。真の幸せ、豊かさとはなにか。一人ひとりに考える機会が与えられた。それが、パンデミックの危機から逃れることができたという安堵と過信から忘れ去られ、再び従来の経済を追い求めてしまうことを心配している。

新型コロナは、格差をグローバルに拡大し、環境を壊し、資源を浪費し続ける大量生産・消費社会に対する地球からの警告にも思える。

この行き過ぎた偏りを調律するかのように、これまでの流れとは逆の、過密な都市から地方への移住や、第一次産業復権を図る動きなどが加速するかもしれない。

ウイルスは、宿主となる生物がいる限りなくならないだろう。勝つとか負けるとかではなく、私たちはウイルスと共存し、うまく折り合って生きていかなければならない。

前置きが長くなってしまったが、今回の本題は、良い店とはどんな店かについてである。

地域密着で繁盛しているウナギ専門店を営む職人が、このコロナ禍でどのようなことを思い、これからの商売をどのように考えているのか。また、良い店とはどんな姿なのか、知りたくなった。

「味、居心地、清潔感、接客。総合して高い満足が得られ、知り合いに薦めたくなる店」や「後味が良い。ホスピタリティがある。店を出た後に心地よい余韻が残る」という声には、私も同感する。

良い店であれば、大切な人を連れていきたいと思うし、自信を持って紹介できる。そして、その存在はいつもどこかで頭に残っているものだ。

さらに、「理想は絶えず進化すること。良い店になるための努力を絶えず行っている」という意見は、今の状況にあって、的を射ている。

味やスタイルを変えずに守っていくためには、常に変わらなければならないということも言えるのではないか。

この他にも、「人気があるからいい店だとは限らない。自分が本当に落ち着いて食べることのできるウナギが一番。18歳の時からこの仕事をさせてもらい、日本人の古き伝統の職人であることを誇りに思っている」という話には感銘を受けた。

こうした自覚を持ち、常に研鑽を図る職人がいる店には、多くのファンがいるに違いない。

コロナ不況は長く続き、大きな苦しみをともなうだろう。でも、あなたの店でウナギを食べたいと思っている客がいることを忘れないでほしい。ウナギ職人は、人と人をむすび、たくさんの思い出をつくり、喜んでもらえる、そんなすばらしい仕事なのである。

f:id:takashi213:20200809105257j:plain

生産者が育て流通業者が選んだウナギを料理に仕上げる。職人の心と技が一杯の丼を介して客に伝わる。そして感動と喜びが生まれる