里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(75)」〉津のうなぎ食文化を支えた121年に幕 う料理「藤屋」四代目 田辺昭裕さん

〈『日本養殖新聞』2018年9月15日号掲載、2020年4月18日加筆修正〉

地元の人びとから愛されてきた老舗のウナギ店が暖簾を下ろした。創業から121年を数える、津市新東町にある「藤屋」。四代目の田辺昭裕さん(59)が母・克子さんと長年営み、ウナギ料理を提供してきた。克子さんが高齢のため働くことが難しくなり、後継者もいないことから、田辺さんは店をたたむことを決める。ウナギを食べる慣習が根付く地元で、長く食文化を支えてきた店は最後の夏を送り、その歴史に幕を閉じた。

最終日となった8月31日の夕方。店が開くと同時に入る。その後、家族連れや常連と思しき男性たちが次々と席に着いた。注文しておいたウナギを持ち帰る客も出入りし、調理場で一心にウナギを焼く田辺さんの姿が頭に浮かぶ。接客は田辺さんの妻・佐知子さんや兄弟が務め、夜の営業が始まった。

しばらく待つと熱々の丼が運ばれてきた。小骨が少なくてやわらかい細めのウナギを使うのが藤屋の伝統だ。「うちのお客さんは皮がかりっとしているのが好き」と話す田辺さん。細めのものは皮がうすいから、しっかりと焼き上げることができる。蒲焼きの表面は香ばしく、中はふっくらとしてやわらかい。初代田辺平八さんが創業した、1897年(明治30年)の頃から継ぎ足し使われてきたかもしれないと言う濃厚なたれの味が、ウナギの旨みとともに口の中に広がった。

「残念やなあ」。店によく通ったかつての思い出を懐かしむ90代の男性が、ゆっくりと息を吐くようにつぶやいた。静かに流れる時のなか、昔と変わらない空間にひたり、客は思い思いにウナギを食べ酒を飲む。

いつかこういう時が来ると田辺さんはわかっていた。昨年になると、店の運営はいよいよ難しくなる。今年はもうできないと覚悟した。夏まで続けるのは厳しいと思ったが、なんとか土用の丑の日と盆を乗り越えた。

大阪の大学に在学していた頃に店を切り盛りしていた祖母が病で亡くなり、家業を継ぐことを自覚する。卒業後、実家に戻り、店に勤めていた先輩の職人からウナギの調理を学んだ。「手を抜かない」を心にかけ、時間を守り、自らを律し、こつこつ働いてきた。仕入れるウナギの価格高騰に悩み、何度か値上げを余儀なくされたが、客に親しまれる味と値段を守り続けた。

 「直焼きはウナギの質が命」。包丁を入れた瞬間にウナギの良し悪しはわかると言う。素材や技術、その時の環境などすべての条件が整ったうえでの会心の蒲焼きはなかなか出来ないというが、うまく焼けた時のことを思い出すと、にっこり笑顔を浮かべる。料理の話になると言葉が熱を帯び、職人としての矜持が伝わってきた。

藤屋も加盟する「津うなぎ専門店組合」の活動にも積極的に参加し、仲間とともに地域のウナギ文化の発展に努めてきた。これからのことについて尋ねると「まだ何も決めていない。頼まれたら腕をふるいたい」と話す。田辺さんが作った一杯を、終わりまで十分に味わった。またきっとどこかで食べることができることを期待し、商家が並ぶ夕暮れの町を後にした。

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