里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(28)」〉創業からの味を守る う料理「藤屋」の四代目 田辺昭裕さん

〈『日本養殖新聞』2014年9月25日号掲載、2020年4月15日加筆修正〉

夏の終わりから秋の始まりへ。盛夏の勢いが陰り、陽光にやわらかさが感じられるようになった頃、降り立ったのは三重県の津駅。改札をぬけると、どんよりと曇った午後の空からはぽつぽつと雨粒が落ちはじめ、乾いた路面に潤いを与えていく。駅前から路線バスに飛び乗り、津市内をつらぬく大動脈の伊勢街道を南下。安濃川をこえた中町で下車すると、ゆるやかだった雨脚は一転して勢いをまし、雷鳴が轟くなか、視界をさえぎる滝のような暴雨が行く手をはばむ。近くの商家の軒先で雨宿りをするも、風雨は一向に衰える気配がなく、目指すウナギ店へと一目散にかける。

繁華街の大門から歩いてすぐの、新東町に店舗をかまえる「藤屋」。急転した天候からようやく逃れ、飾らない昭和の雰囲気がただよう店のなかへ入ると、いつもと変わらない笑顔が迎えてくれた。ウナギを主とした割烹料理店を商う、田辺昭裕さん(55)。老舗の四代目として、接客をになう母親の克子さんと、長年にわたり家業を営む。

この町で生まれ、家族らが忙しく働く環境のなかで育った昭裕さん。学生時代を振り返り、「あとを継ぐことは考えていなかった」。それでも大阪の大学に在学中、店を切り回していた祖母が亡くなると、自分の代で家業を消してしまうのを惜しみ、料理の道へすすむことを決意。大学卒業後は地元へもどり、実家でひたすら修業をつむ。料理人であった祖父は物心がつく頃に早世し、父親は公務員であったため、店で働いていた職人よりウナギの扱いから割烹まで手ほどきを受ける。

ウナギをさばき、串を打ち、焼く。この一連の作業を、30年以上にわたり磨いてきた昭裕さんがつくる一杯の丼。克子さんが運んでくれた熱々の蒲焼きは、五感を吸引する強い香ばしさを放つ。取り寄せるウナギは、三河一色産が中心。客の要望を受けて、「皮がうすくてやわらかい。小骨も口に当たりにくい」という細めのものを選ぶ。こくのある濃厚なたれは、創業から伝わる製法で、継ぎ足し使う。

「焼きがあまいのはいやで、皮をしっかり焼いている」という昭裕さん。細めのウナギは脂が少ないことから「あっさりしているのが特徴」。風土と先達、そしてこの味を求めて通う、多くの人びとが育んだ伝統の味を、ゆっくりと噛みしめるように言葉であらわす。

「味は一切変えていない」。代々受け継がれてきた調理法をかたくなに守り、戦前からの味を継承する。この一点において、昭裕さんに迷いはない。ウナギと向きあい、錬磨し続けてきた自らの腕については、「いまもだめ。完璧と思うことはない。難しいです」と謙抑な態度をくずさない。けっして誇らず、いつも客の満足を第一に考えるその姿からは、形を確立した職人の真摯な生きざまが浮かびあがる。

昭裕さんの店も加盟する津うなぎ専門店組合では、毎年夏の時期にウナギの供養と放流を行うが、今年は初めて一般市民から親子を募り、勉強会や放流体験を実施した。報道関係者も多数おとずれた催しは盛況で、その反響は大きく、名物である津のウナギを内外にアピールした。運営に加わった昭裕さんにとっても、市民との交流は新鮮な体験だったようで、「こんなに多くの人に喜んでもらえてびっくりした。またぜひ行いたい」と意欲をみせる。

かつては市の中心としてにぎわった、大門およびその周辺だが、往時の活気は失せて、退潮の波がじわじわと蝕む。それでも通りには仏壇店や肉屋、床屋やクリーニング店などがならび、人びとのぬくもりと生活のにおいが色濃くただよう。津は全国でも有数のウナギ消費地。市内には30近くの専門店が密集し、多くの職人が味と腕を競う。地域の活性化に向けて、「津のウナギが起爆剤になれば」と昭裕さんは願う。客の「おいしかった」という声をはげみに、地元の人びとに愛されるウナギをこれからも焼き続ける。

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