里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(27)」〉環境を守り次代へつなぐ 60年にわたり矢作川で魚の調査を続ける 梅村錞二さん

〈『日本養殖新聞』2014年9月5日号掲載、2020年4月15日加筆修正〉

愛知県の東西の都、名古屋と豊橋にはさまれた真ん中にあって、平野から山間部にまでひろがる県内最大の市域をもつ豊田。この広大な地域を縦断するのが矢作川。長野県の阿智村と平田村をまたぐ、木曽山脈の南端にそびえる大山入山を源流とし、岐阜、愛知を経て、三河湾へとそそぐ。東海地方を代表する一級河川の一つであり、その上流から中流には豊かな森林がひろがる。中流から下流にかけては、農・工業が発達し、洪水調整、産業や上水道用水の取水、電力供給のために建設された七つのダムがあり、水利用率は平均で40パーセントを超える。

上流と下流の連携による水源林の整備や「矢作川方式」と呼ばれる農・漁業団体、市町村が一体となった水質保全の取り組みなど、住民による環境を守る活動は長い歴史をもつ。「流域は運命共同体」。この思想が、上流から下流までのさまざまな立場の壁をこえて、沿岸で暮らす人びとの心魂に浸透している。

この春、「豊田の淡水魚類相」なる本が発行された。執筆したのは、矢作川中流域の豊田市西広瀬町で暮らす梅村錞二さん(81)。60年にわたり、矢作川の魚を調査・研究し続けてきた。その成果を一冊に集成した貴重な労作である。同町で生まれ、自宅のすぐ前をながれる清流で遊び、成長した梅村さん。その歩みは矢作川とともにあり、「3、4歳のころから川に通勤しているようなもの」と白い歯をみせる。

大学時代の卒論のテーマで矢作川の魚の生態と向き合って以来、20代から今日まで、小・中学校で理科を教えながら、休まず調査を続けてきた。いまも毎週1回、胴長を着込んで川へとはいり、投網をうつ。「1キロも歩くと汗だくになる。調査は重労働」。川辺に生える葦(よし)をかき分け、瀬や淵など変化のあるポイントを選んで網をはなち、かかった魚の種類や匹数、全長、それぞれの魚種の構成率などを調べる。当日の水温はもちろん、気象や気温、使った漁具や調査者まで、克明に記録していく作業を繰り返し継続する。同じ場所で調べても、結果は「昨日して今日しても変わる。何年も続けることで精度があがり、変化もわかるようになる」。

梅村さんが調査・研究を続ける間に、世の中は経済の発展をめざして工業化を推し進め、社会は繁栄を築いた。その一方で環境は激変し、矢作川でもオオウナギ、タナゴの仲間、ウシモツゴ、ネコギギ、カワバタモロコなどの多くの在来種が姿を消した。コンクリートの段差の下のところに「真っ黒になるほどいた」というウナギもめっきり姿を減らし、いくつもあるダムや堰によって、上流にのぼるものもいなくなった。それでも、アユやオイカワを餌にして釣る、はえ縄式の「すてばり」や、岩の間に仕掛ける「うろだし」という漁法がいまも行われ、時々釣れるという。

ウナギと聞いて梅村さんが思い起こすのは、友釣りを楽しんでいたときの強烈な体験だ。おとりのアユを、ウナギがものすごい力でかみ切り、糸を切って逃げる。そんな場面を何度も目にしたそうだ。

矢作川に生息する魚の種類を調べると、在来種は減っているが、外来種や国内からの移入種が増え、全体では増加しているという。こうした傾向が、他の河川でも見られるのではと梅村さんは指摘する。「戦後から開発を続けて成長してきたが、失ったものもたくさんある。川の環境も、みんなで守ろうと言っている。30年、50年前にもどすのは不可能だが、これ以上悪くしないよう立ち上がろうと呼びかけている」。環境保全について熱く語る梅村さんは、活動の将来を見据えてこの本を出版した。本のなかでは豊田の河川、池沼の魚を取りまく諸課題や、淡水魚類を保全するための提言も盛り込まれている。

「メダカ、ドジョウに続いてウナギが絶滅危惧種に指定されたのは大きな問題。明日は人間の番ですよと言っているようなもの。取り返しのつかないところまできていると思う」。市天然アユ調査会会長などのさまざまな要職に就いて、地元の環境保全活動を牽引してきた梅村さんの言葉は重く、まっすぐに響く。次代へ運動の継承を図りながら、これからも矢作川の環境を守る調査・研究に意欲をもやす。

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