里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(40)」〉家族で団結し地道に歩む ウナギ専門店「うなぎ処はちすか」店主 角谷至章さん

〈『日本養殖新聞』2015年10月15日号掲載、2020年4月16日加筆修正〉

愛知県の西三河地方にあって尾張と境を接し、西と南を衣浦湾と三河湾の海、東を矢作川汽水湖の油ケ淵に囲まれた碧南(へきなん)市。その独特な地名は、かつてこの地が属していた碧海郡の南部にあったことから由来する。

みりんやたまり、味噌などを作る醸造が盛んな市内には、長い歴史を持つ神社仏閣が数多あり、海を望むと、火力発電所をようする臨海工業地帯が形成され、大企業の築いた工場が続く。高度経済成長期に埋め立てが進み、海浜の姿は消えたが、大浜漁港からはいまも漁船が繰り出して、シラス漁などを行う。街の中心から陸域へ進むと、のどかな田園がひろがり、ゆるやかな時間が流れる。湾岸は工業や漁業、陸域は農業など、複雑な地形を活かした多様な産業が発達しつつも古の歴史が残る碧南には、さまざまな伝統文化が生きている。

市内を南北に走り、西三河の要衝である刈谷知立とむすぶ名鉄の「碧南中央駅」に降りたのは、陽光の勢いがやわらぎ、頬をなでる秋風が心地よい9月の終わり。駅から車に乗って10分くらいの、通りの両側に飲食店が並ぶ中後町に、親子が営むウナギ専門店「うなぎ処はちすか」がある。二代目で代表を務める角谷至章さん(43)が家族と作る名物の「ひつまぶし」は、店が誇る人気のメニュー。市内はもちろん、遠方からもこの味を求めて、多くの客が訪れる。

店は至章さんが、調理を行う父の嘉彦さんと弟の吉規さん、接客を担う母の和子さんと経営する。ウナギは割きから焼きまで、父子三人が交代で行い、忙しいときは作業を分担する。

創業して17年目になる繁盛店は、父の嘉彦さんが一念発起して開いた。「日本人が昔から食べていたもので、チェーン展開が難しく、職人が必要な食べ物」を探していたところ、親戚だった故蜂須賀宣裕さんが岡崎で川魚の仲卸を営んでおり、ウナギの蒲焼きも焼き売りしていたことから教えを乞い、ウナギ料理の店を持つことを決める。

このとき地元の高校を卒業し、飲食業で働いていた至章さんも、父の新たな挑戦に協力。ウナギの目利きや調理法、タレの作り方などをともに学び、修練を重ねた。

おじである宣裕さんの後押しを受けて開店したものの、当初はなかなかタレの味が安定せず、「1、2年は試行錯誤しながらでした。それでもめげずに一生懸命、家族で団結して乗り越えました」と、至章さんは当時を振り返る。

1年目の夏が過ぎると、客足は大きく落ち込んだ。苦しい状況に見舞われるも、地元でいち早くひつまぶしをメニューに取り入れ、お値打ちな、うなぎ丼ランチを始めたことから、評判を呼んですこしずつ客が増え、店の経営は軌道に乗り始める。

「海に面しているので魚をよく食べますし、地元のお客さんはとにかく口が肥えています」。こうした客たちが満足し、多くの常連が通う店の蒲焼きは、甘めのたれが程よくのり香ばしくてやわらかく、あっさりとしていて食べやすい。

使うウナギは、一年を通して近くの三河一色から、統一した大きめのサイズのものを取り寄せる。「新仔のやわらかいものがベスト。背の黒と腹の白い部分の境界がはっきりしているものが良いです」。「最後の最後まで気が抜けない」という、一つひとつの調理の工程のなかでも、上質のウナギを見極め、仕入れることがもっとも大切で、「おじさんからは目利きが一番だと教わりました」と笑顔で語る。

至章さんは、独学で身につけた包丁さばきでウナギの腹をひらき、扇状に串をうって、強火で丁寧に焼き上げていく。甘めのたれを二度漬けして仕上げ、細かく刻んでお櫃に盛られた蒲焼きは、艶やかな輝きを放つ。

つねに理想とし、目指してきた蒲焼きは、宣裕さんが作っていた絶品のウナギだ。子供の頃から口にしてきた懐かしい味わいは、いまも至章さんの心身にしっかりと刻まれている。「おじさんのところのウナギの味なら絶対に大丈夫」。この確信が、揺らぐことのない自信となって、店の土台を作る。

「地道が一番です。地元のお客さんを大切に、満足してもらえる料理を作っていきたい」。訪れる客に感動と喜びを提供する至章さん。一家がつむぐ物語は、これからも終わることなく続く。

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