里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(39)」〉日々勉強でぶれずに邁進 ウナギ専門店「新玉亭」社長 杉本浩也さん

〈『日本養殖新聞』2015年9月15日号掲載、2020年4月16日加筆修正〉

市民一人当たりのウナギの消費量が全国でも有数の三重県津市。市内には、30近くのウナギ屋があり、舌の肥えた客を相手に日夜切磋琢磨を繰り広げる。かつては養鰻が盛んだった同市。産地と近接だったことから、ウナギを扱う専門店が数多くうまれ、地元民に親しまれるなか独自のウナギ食文化が発達した。

今年の夏は突然終わり、秋がいそいでやってきた。近鉄の「津駅」からさらにもう一駅乗り、「津新町駅」で降りる。ひんやりとした初秋の雨が連日止まず、この日も小雨がしとしと降り続く。駅の東側一帯に広がる「丸之内」は、石垣と堀がいまも残る津城跡の公園を中心に、市役所や地方裁判所、警察署などが点在する。かつての城下は、整然と区画された道路が縦横に走る、静穏な官庁の街へと変貌を遂げたが、この地の政の中心として、変わらずあり続ける。

向かったのは、市役所前で営むウナギ専門店「新玉亭」。明治23年創業の老舗は、四階建ての堂々たる店の造りからも、地元を代表する名店であることが伝わってくる。「津のウナギ屋は、選別が厳しいんです」と話すのは、四代目で社長の杉本浩也さん(42)。市内で営業する別の店主も「津のウナギの選別は日本一厳しい」と言っているのを以前に聞いた。良質なウナギのみを仕入れ、最上な蒲焼きを提供してきたプライドがどの職人にもあるのだろう。

「焦げるか焦げないかのちょうど境。外はぱりっとしていて、中はジューシー」という蒲焼きはボリューム満点で、値段も並丼(二切れ)が1300円と庶民にやさしい。使うウナギは三河一色産を中心に太めのものを選び、職人たちが総出で割いて串をうち、ベテランが炭火を操り焼き上げる。

「津で一番からい」という特製のたれは、創業時から継ぎ足して大切に使ってきた。「その時のウナギの質によって、たれののり方は変わります。ウナギに旨みがあると、漬けたたれに甘みがでるんです」。たれは焼く過程で二度漬けるが、この二度目が重要で、漬けるタイミングや時間の長さによってのり具合が異なり、味も変化するという。職人たちが精魂を傾ける一つひとつの工程と技の積み重ねによって、変わらぬ伝統の味は守られているのだ。

「一人っ子だったので、跡を継ぐという自覚は早くからありました」と話す杉本さん。地元の高校を卒業した後は、父母を親方に修業の道へと入り、夜間の短大に通いながら店で働く。そして接客から調理まで、店のあらゆる仕事を覚え、体得していった。

社長に就いたのは、先代の父・賢一さんが引退した3年前のこと。ちょうどシラスウナギの不漁が連続し、メニューの値上げを余儀なくされ、我慢の経営を続けていた頃だ。落ち込んだ客足を取り戻そうと、女性が食べやすいウナギのミニ丼とう巻をセットにしたメニューを提案したり、登録するとコーヒーかサラダ、ウナギの骨の唐揚げがサービスでつくメール会員を募ってみたり、さまざまな取り組みを行って、集客にむすびつけてきた。客の要望に応えてメニューに取り入れた、うな重やひつまぶしも好評を得る。

「これで満足してはいけない。日々勉強です。お客さんにおいしいと言ってもらえるのが、一番うれしい」。感謝と謙虚の気持ちを忘れない杉本さんは、母の孝子さん、妻の知穂さん、そして多くの従業員と一致協力して店を運営する。

加盟している地元の津うなぎ専門店組合の活動にも積極的に協力する。一般の親子を招いたウナギ放流会を開いたり、地元の米菓会社と連携してウナギの骨とたれを使ったあられをつくったり、津のウナギの知名度アップに取り組む。

今年の夏には、もっと多くの人びとにウナギに親しんでもらおうと、新玉亭のキャラクター「うなちゃん」の飾り巻き寿司をつくる教室を店内で開き、参加した親子に当日限定のうなぎ丼の特別メニューを提供。津のソウルフードを堪能してもらう。

創業から今日まで、ウナギをできるだけ安く提供し、たくさん食べてもらうことで商いを続けてきた。「ぶれたら絶対にだめ。専門店の強みを持ってウナギ一本にしぼり、これからもやっていきたい」。まっすぐな思いを言葉にする杉本さんからは、豊かなウナギ食文化を育んできた郷土への深い愛着が伝わってきた。

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