里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(35)」〉信頼を大切に勤しむ ウナギ専門店「うな昇」二代目 竹川典孝さん

〈『日本養殖新聞』2015年4月15日号掲載、2020年4月16日加筆修正〉

愛知県名古屋市のもっとも東に位置する名東区。約16万人が生活する区域は、新興の住宅地と豊かな緑が広がり、子どもからお年寄りまで、暮らしやすい人気のエリアとして発展を続ける。同区のほぼ中央にある上社(かみやしろ)地区を訪れたのは、春まっさかりの桜が咲き誇る陽春の頃。地下鉄「上社駅」を降りたすぐそばには、区内を東西につらぬく幹線の「東山通」と、市内をぐるりと周回する「名古屋第二環状道」が交わる、迷路のような巨大な高架のジャンクションがそびえ建つ。東名高速道路インターチェンジからも近い同地区は、いくつもの大動脈が交錯する名古屋の要衝の一つで、車両の往来が一日中絶えない。

その上社駅から歩いて約5分。東山通を横断し、脇道を進んだところにあるのが、この地に店を構えて37年になるウナギ専門店「うな昇」。暖簾をくぐると、彩も鮮やかな生け花が迎えてくれ、流れる静かなジャズの音色が心身を解きほぐしてくれる。和を基調にした清涼感あふれる店のなかは、木のぬくもりが伝わる落ち着いた雰囲気で、訪れた客はくつろぎながらゆっくりとウナギを味わう。

同店を父や母、奥さんと経営するのは、二代目の竹川典孝さん(39)。創業者でいまも現役の父・利春さんは、名古屋の老舗「いば昇」で長年修業を積み独立したベテランのウナギ職人。名店の味を継承し、発展させた自慢の「ひつまぶし」は、多くの客の舌をつかんで離さない。

父と同じ、職人の道を歩む竹川さんは、小さな頃から店を遊び場にし、たれをかけたご飯を食べて育った。家業を手伝いながら成長し、地元の高校を卒業すると、京都市にある料亭に就職する。同期で入社した社員のほとんどが中途で辞めてしまう厳しい環境のなか、「追い回し」として必死に働き、仕事を身につけた。住み慣れた地元を離れ、初めて飛び込んだ実社会。食の文化もまったく異なり、「すべてがカルチャーショック。それでも名古屋の外の世界を知ることができたのは大きかった」と振り返る。

3年半の修業を終えて名古屋にもどり、「うな昇」に入店。父のもとで、割きから焼きまでウナギの扱いを体得し、職人としての腕をみがく。現在は、ほぼ毎朝市場に通い、ウナギの仕入れから店での調理、接客や経理の他、対外的な交渉まで運営の一切をまかされ、忙しい毎日を送る。

ぴんと張り詰めた空気に満ちた調理場のなか、串をうったウナギに全神経を集中する竹川さん。一定のリズムで団扇をあおいで表裏をこまめに返し、炭火でじっくりと焼き上げていく。使うウナギは、味が良いという九州の鹿児島や宮崎県産のものから選りすぐる。同店の上品で繊細な蒲焼きは、ウナギが持つ本来の味わいを生かした焼き方やたれの味付けで、さっぱりとして食べやすい。

やわらかいウナギより硬めのものを好んで使うのも、創業時からのこだわり。「ウナギの味が濃い。噛むと旨みがあって、口のなかに後味がしっかりと残るんです」。やわらかいウナギに比べて、より高度な焼きの技術と焼き上がるまでの時間を要するが、自らが選びぬいたウナギに揺るぎのない自信をみせる。

「店に入って20年近くになりますが、一つわかったら二つわからないことがでてくる。その繰り返しです」。竹川さんはウナギの奥の深さについて熱く語る。また「稚魚の採捕から養殖、問屋までの全ての出口に蒲焼き店は存在しています。最終的にウナギを良くするのも悪くするのも専門店次第」と話し、ウナギ職人として研鑽を重ねつつ、業界と消費者をむすぶ役割をしっかりと果たし、食文化を守り伝えていこうとする気概を言葉にこめる。

市場で交流を深めたり、店内で働くスタッフのチームワークを重んじたり、人との信頼を大切に日々勤しむ。こうした積み重ねが、料理はもちろん接客や店の雰囲気にもあらわれ、客に喜びを提供する店の格をつくる。真摯な職人としての生き方をつらぬき、今日もウナギを焼き続ける竹川さん。父の後を追い、自らの型を極めようと壁にぶつかり、模索を繰り返しながらも走り続ける。

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