〈『日本養殖新聞』2019年1月25日号掲載、2020年4月18日加筆修正〉
今回訪れたのは、愛知県名古屋市の中心街から少し離れた昭和区白金地区にある繁盛店である。「うな富士」。県外にも多くのファンを持つ同店は、この夜もたくさんの人びとで席が埋まり、にぎわっていた。
初めて訪れた客は、その味とボリュームにきっと驚くだろう。大きく切り分けた蒲焼きが、丼のなかでこんもりとした山をつくる。そして、ご飯のなかにも一切れが。太めのウナギを使い、蒸さずに直火で仕上げる「地焼き」と呼ばれる調理法によって、外はぱりっと、中はふっくらとした食感が十分に堪能できる。ウナギの旨み、炭焼きの香ばしさ、相性の良いこくのあるたれ。いくつもの個性が丼のなかで調和し、この店の料理を形づくる。
使うウナギは「新仔」と呼ばれる、養殖して一年経っていない若いウナギが主体で、脂がのって皮がやわらかい。その時期に生産されるもっとも良質な新仔を国内外の産地から選りすぐり、創業者である水野尚樹さん(75歳)から学んだ熟練の職人たちが調理にかける。
地域性を超えた「絶対においしいもの」を作るのが、創業から持ち続けてきた水野さんの信念。どの店も扱っていなかったという、脂のある3.5Pサイズのウナギを使ったのも、当初からメニューに載せている肝焼きの入ったうな丼を考案したのも、客の満足を求める飽くなき探究心からであった。
水野さんは名古屋市の出身。山口県下関市にある水産大学校で魚の病理組織学(卒論は高知大学)を専攻し、卒業後は静岡県清水市に本社のあった養魚飼料メーカーの富士製粉(当時)で働く。そこで餌料の研究開発や養殖を支援する現場の技術サービスに従事し、ウナギのほかコイ、アユ、ニジマスなどの淡水魚やハマチ、タイ、フグ、イワシなどの海水魚の養殖に関わり、各地で生産者と寝食をともにしながら仕事に熱中した。
そして50歳のときに脱サラ。名古屋でウナギ店を開くことを決意する。「一番市場価値のある魚はウナギしかない。自分でさばくことができたし、醤油メーカーとも付き合いがあった」。会社員時代にウナギの選別、割き、焼きなどの技術は一通り身につけていたが、退社してから一年近く、伝手を頼って全国各地のウナギ店をわたり歩いて修業した。
会社員になったばかりの頃、ウナギの池あげを手伝った。たっぷり汗をかいた後、昼ごはんにその場で割いて焼かれた白焼きのウナギを食べた。「こんなにおいしい食べ物が世の中にはあるのか。塩を軽く振って食べる、それだけ。あのときの味が原点」と振り返る。
平成7年の夏に開業した店は、一年目から軌道にのる。最初の6年間は一人でウナギをさばき、串を打って焼いていた。それから店の評判を聞いて志願してくる若者を受け入れ、育成するようになる。これまでに多くの職人が巣立ち、それぞれの地で継承した味を守っている。「ウナギがここまで成長して届く過程の一つひとつに人が携わっていて、思いがこもっている。このなかでウナギ職人が自分の立ち位置を理解し、料理を提供してほしい」。水野さんの本心がこの言葉にある。
昨年3月、水野さんは23年間営んできた店の経営から退いた。「生産過程を大事にしたい」という思いに共感してくれた、名古屋を中心に居酒屋などを展開する「かぶらやグループ」の岡田憲征社長に後を託した。「自分のつくった店には愛着がある。これからも応援していきたい」。同店の相談役として、水野さんは今も毎朝市場に通う。訪れる客との交流を楽しみに毎日店に立ち続ける。