里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(19)」〉笑顔のために天職を邁進 炭焼「うな富士」店長 柴田哲滝さん

〈『日本養殖新聞』2013年12月15日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

「ウナギってこんなに香ばしかったっけ」。その味を十分に知っているはずの年輩の男性客が目を丸くし、夢中になって丼をかきこむ。初老の男女グループや若者の二人連れ、中高年のサラリーマンなど、平日の昼下がりだというのに、店のなかはたくさんの客で埋まり、その後も暖簾をくぐる客の足音が絶えない。活気に満ちた店内は、客同士の弾む会話であふれるが、熱々の蒲焼きが運ばれてきたとたんにどのテーブルも静まり、極上のウナギに全神経を注ぐ光景が繰り返される。

大都市・名古屋の中心をなす中区に隣接した昭和区の白金地区。中小企業のオフィスや工場、昔ながらの商店や民家が混在する、新旧の調和した街並みが広がる。この一角にあるのが、平成7年創業のウナギ専門店「うな富士」。名古屋を代表する名店の一つとして、その評判は広く浸透し、地元はもちろん遠方からも多くの客が足を運ぶ。

「最近は若いお客さんが多いですね」。愛嬌のある笑みを浮かべ、明るくはきはきとした口調で答えるのは店長の柴田哲滝さん(41)。創業者で店主の水野尚樹さんから全幅の信頼を受け、4年前から店の運営を担う。

愛知県は西尾市一色町で、養鰻業を営む家庭に生まれた柴田さん。中学までの一時期を宮崎で過ごし、静岡県内の大学を卒業した後は東京で建設業に従事する。現場監督として各地を転々とする日常から脱サラし、「スコップから包丁へと持ちかえた」のは30歳のとき。「お客に喜ばれる仕事がしたい」と、ウナギを通した旧知の間柄で、以前から尊敬の念を抱いていた水野さんのもとへ飛び込み、弟子入りを志願。新たな人生の舵をきる。

家業の手伝いでウナギに触れる機会はあったが、調理経験はまったくなく「ゼロからのスタートだった」。さばいて串を打ち、焼きあげる工程は、「一通りできるようになるまでに7年はかかる」という熟練を要する世界。「一人の人間として親以上にあらゆることを教えてくれた。厳しいけれど温かい」という、敬いと親しみをこめて「大将」と呼ぶ水野さんからの薫陶を受けながら修養をかさね、現在にいたる。

「焼きは常に難しい。日々研鑽で気を抜くことができない」。同じ養鰻産地の池であっても、一匹ずつ身質は異なり、その日によっても状態は変わる。こうした変化を見極めながら、炭の火勢をあやつり、「自分が食べてうまいと思う」最上の蒲焼きに仕上げていく。地焼きにした、表面はぱりっと香ばしく、なかはふっくらとして、とろけるようにやわらかい肉厚な蒲焼き。ウナギは国内外の一番旬な産地から取り寄せ、太い良質なものだけを選り分けて使う。そこにあっさりとしていながらもこくのある、相性の抜群なタレで、オンリーワンの味わいが完成する。

謙虚な姿勢をくずさない柴田さんの口からは「修行中」との言葉が何度もでる。たゆまぬ修練によって築きあげられた味と技を継承し、磨きをかけていくため、経験の蓄積に貪欲に挑む。「おいしいと言ってもらえるのが一番うれしい。すべてはお客さんの笑顔のため。迷ったときにお客さんのことを考えると答えがでるんです」。そう語る柴田さんの顔は、うれしそうにほころぶ。職人の歩みは、終わりのない長い道のり。描く理想をふくらませ、天職を邁進する。

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