里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(97)」〉深まる謎と膨らむ興味 ウナギを探し愛知・春日井の里を歩く

〈『日本養殖新聞』2020年7月15日号寄稿〉

中日新聞2020年6日1日の記事「用水路にニホンウナギ」の記事を見て驚愕した。

愛知県春日井市内の用水路で、泥さらいをしていた作業員が細長い魚を発見。名古屋港水族館に確認してもらったところ、ニホンウナギの稚魚であることがわかったという。

用水路の供給元である内津(うつつ)川は、岐阜県の東濃地方から愛知県の尾張地方を流れる庄内川の支流で、庄内川との合流点から下流には人口230万人を抱える名古屋市がある。

庄内川は、岐阜県恵那市の夕立山を源流とし、愛知県の春日井、名古屋市などを経て伊勢湾の海へと注ぐ。全長約96キロ。この地方の主要な河川の一つであり、広い流域をもつ。

都会になればなるほど人口は過密化する。人びとの安全を確保するため、川の造りは改修され、水の流れは制御されてきた。その結果、ウナギの餌となる生き物は減り、隠れ場となる土砂や石のすき間の多くが失われてしまった。自然の営みよりも人間の経済活動が優先され、いつしか流域住民の関心を失った都市河川は、生物にとって居心地のよい環境ではなくなった。

それでも、名古屋において庄内川は生き物たちの貴重な生息場となっている。ニホンウナギは「名古屋市レッドリスト2020」で、近い将来に野生での絶滅の危険性が高い「絶滅危惧ⅠB類」に分類されているが、市内の庄内川水系では生息が確認されている。

ウナギが発見された春日井市神屋(かぎや)町の用水路は、庄内川の河口から直線距離にして30キロくらいはある。太平洋の産卵場から伊勢湾に。そこから庄内川に入って内津川を上り、いくつもの人工横断構造物を乗り越えやってきたのだと推測する。

わからないのは、内津川からこの用水路にどうやって入ってきたのかである。中日新聞の記事を読んでからウナギが見つかった現場を2度訪ねた。

用水路の水が湧き出るところは、そばを流れる内津川と外見上はつながっていない。用水路の近くには「水利民生」と刻まれた石碑が建ち、「神屋地下堰堤」について説明するパネルがある。

このあたりは、内津川の水が上流で砂礫層にしみ込み伏流となることから水の無い所だった。このため、川を横切るようにして地下に粘土の堰堤を築き、農業用水を地表に導いた。この地区で稲作を可能にする用水路は、1934年(昭和9年)に竣工する。

伏流水が用水路に噴出すまでの地中には丸石層、さらに蛇籠がある。ウナギは、伏流水にうまく乗り、石のすき間を巧みに泳いで再び地上に現れたのだろうか。

一方で、用水路が流れる先も内津川につながっていると考えられる。しかし、田んぼに引水するために水位を上げるいくつもの堰板があるうえに身を休めるところもほとんどないことから、用水路の下流から遡上するのは難しいと思われた。

ウナギが見つかったところのすぐ近くで農作業をしていた年配の男性に聞くと、「昔は田んぼにもどこにでもウナギはいたが、今は珍しい」と話してくれた。

発見されたウナギは、安住できる場所を求めてここまでやって来たのだろうか。ウナギという生き物への謎はますます深まり、興味がふくらみ続けている。

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ウナギの稚魚が発見された用水路の現場

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