里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。〈117〉」】適切に手を加え多様性を守る 池干しから自然を考える

〈『日本養殖新聞』2022年3月15日号寄稿〉

〈この世に存在している生物はそれがどんなにつまらなく見える生き物であったとしてもそれぞれの居場所で、ナンバー1なのである〉(『弱者の戦略』稲垣栄洋、新潮社)。

昨年11月、名古屋市名東区の猪高緑地にある「すり鉢池」で、池の水を抜く池干しが行われた。

生態系の保全・再生を図るため、地元の学区、環境保全団体、なごや生物多様性センターなどが主催し、参加した子どもたちによって多くの生き物が捕獲され、その場で展示された。

すり鉢池は、野球場の内野エリアより少し広いくらいの小さなため池で、同センターによると水を抜くのは今回が初めてだという。

そもそも池干しとは、農業用水として利用していたため池にたまった泥を取り除くことを目的とし、昔は3年から5年に1回くらい行われていた(参考:『池の水なぜぬくの?』安斉俊、くもん出版)。

高度成長期に入り、宅地開発が始まる前の昭和30年代くらいまで、すり鉢池の周辺は農地が広がっていたはずで、その頃までは池干しが行われていたのではないかと私は考えている。

その池に数十年ぶりに人の手が入った。池の水は大部分が抜かれ、目視で確認できる魚やエビ、カエルなどのほとんどが捕獲された。

見つかった生き物は、在来種がスジエビ約1200匹、モツゴ約1200匹、ミナミメダカ約120匹、フナ類約100匹など。外来種ブルーギル約3300匹、アメリカザリガニ約320匹、ウシガエル(幼生)約280匹、コイ(飼育型)15匹などである。

その他、ナマズが一匹見つかったが、ウナギはいなかった。在来種は一時保護され、池の水量が十分に回復してから戻される予定で、外来種は処分された。

在来種と外来種を区分すること、そして外来種を排除することにどれだけの意味があるのだろう。

人間が、外来種を取り除くことにどれだけ力を入れても、排除することは不可能だろう。移入の経緯が人為であろうとなかろうと、自然の営みの一部に外来種も含まれるからである。

こんな小さな池の中にあっても、外来種が在来種を食べ尽くすようなことはなく、両者が共存し、生態系を形成していたのである。

在来種を善、外来種を悪と一元論的に見なす〈中世的な生態理解〉(『外来種は本当に悪者か?』フレッド・ピアス、草思社。岸由二氏の「解説」より)がこの国では常識となっているが、自然は常に移り変わるものであり、厳しい生存競争のなかで自らの居場所を見つけて生きている、一つひとつの種の主体性に目を向けるべきではないか。

大切なのは、人間の生命や農林水産業などに被害を及ぼす生き物について抑制を図りながら、人間が自然に適切な手を加え、生物の多様性を守るために生態系を維持していくことである。

適度なかく乱を人為的に起こす池干しは、多種な生き物が生存できる環境を生みだす。ため池の保全は、外来種の問題も含めて、人間と自然がどのように向き合っていくべきかについての答えを示す、重要なモデルになると思う。

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池干しが行われたすり鉢池

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