里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

新美貴資の「めぐる。〈136〉」 街のうなぎを集める 個性的な鰻屋の看板

〈『日本養殖新聞』2023年10月15日号寄稿〉

以前から「うなぎ」の文字が気になっていて、昨年くらいから少しずつ集めるようになった。現在は「街のうなぎ収集者」となり、カメラを持って名古屋市内を時々歩いている。

集めているのは、主に鰻屋の看板に描かれている文字である。「うなぎ」の魅惑的な字形に創意工夫を凝らした書体は、その場所だけで見られる唯一無二の存在で、受ける印象は季節、天候、時間帯によっても変わる。どの店のものも個性的で面白く、店主の信念、ウナギへの思い、時代の流行……そこにどんな意図が込められているのか、一つ一つの看板をじっと眺めていると想像の世界に没入してしまう。

残暑の厳しいこの日も、名古屋の都心に近いある所を「うなぎ」の文字を見ようと歩いていた。そのあたりは昨年に一度訪れており、目的の鰻屋は間もなく見えてくるはずであった。確かな予感を頼りに道を進むと、予想を裏切る光景が目の前にあらわれ言葉を失った。そこにあるはずの店が消えていたのである。

鰻屋のあった建物の正面は養生シートに覆われ、組まれた足場の上に立つ解体工によって作業が進められていた。大部分はすでに壊され、なくなっている。この店のウナギはどんな味だったのだろう。食べておかなかったことを悔やんだ。

一時の休業なのか廃業なのか、この鰻屋の実情はわからない。過去の住宅地図をさかのぼりわかる範囲で調べてみると、店は昭和30年代には営業していたことがわかった。地域に根を張りこつこつと営み、多くの客に自慢の蒲焼きを提供してきたのに違いない。

その数日後、新聞である記事を読んだ。それは、燃料費の高騰などを背景に60年以上の歴史に幕を下ろし、廃業する銭湯のことを書いていた。常連客の「よう頑張った」。店主の「正直ほっとしている面もある」。この両者の言葉に清々しさを感じ、前述の鰻屋とどこか重なって見えた。

また、私の住む町に、建物の老朽化を理由に土地の所有者から立ち退きを迫られている中華料理屋がある。夜に店の近くを通り、明かりがついているのを見るとほっとする。どんなものにも終わりはある。だからこそ人々は今あるものに愛着を覚え、離れがたい気持ちを抱くのだろう。

人生は出会いと別れ、始まりと終わりの連続であり、さまざまな感情が交錯する物語を生む。最近のこうした出来事を振り返って、人間、最期に残る拠り所は思い出ではないかと思った。過去の古き良き懐かしい記憶は、どんな人にとっても宝物であるはずだから。

私が「うなぎ」の文字を集めるのはなぜだろう。今ここに存在している鰻屋を、自分の中で何かの形にして残しておきたい。そういう気持ちは確かにある。

もっと言えば、ウナギに関わるものの探求を通して今ある自身の存在を確かめ、そうした活動の中に自分の生きる意義を見いだしたいのかもしれない。でも一番は、考えるよりも感じること。今夢中になれることを追い求め、こみ上げる衝動を自分の言葉や形にして伝え続けていきたい。

看板の明かりが心を温かくする

集めた「うなぎ」で作ってみた。上から読んでも左から読んでも「うなぎ」