〈『日本養殖新聞』2021年6月15日号寄稿〉
いつ、だれが、どのようにして付けたのか。前回の続きで、名古屋市名東区にある「鰻廻間(うなぎはざま、以下、異字体を新字体に改める)」の地名について考えてみた。
どんな名前にも必ず命名者がいる。そこには何かしらの意図や理由があり、人びとの合意に至ったはずだ。
この地がいつから鰻廻間と呼ばれ、かつてあった鰻廻間池がどの時代に作られたのか。ちなみに「はざま」とは、「物と物との間の狭いところ」「谷あい」などを意味し、尾張地方に多い地名で、古戦場の「桶狭間(おけはざま)」が有名である。
江戸時代の寛文年間(1670年前後)に尾張藩が編纂した『寛文村々覚書』。この村勢調書の猪子石村(「いのこいしむら」または「いのこしむら」。現在の名東区・千種区の一部)のところに、雨池の1つとして「うなぎ池」が記載されている。これが鰻廻間池ではないか。ため池は西日本から伝播し、東海地方は江戸時代に多く造られたという。
これまでの私の調べでは、鰻廻間においてウナギとの特別な関りを示すような痕跡は見つかっていない。では、なぜここにウナギの名前が付けられたのだろう。
『暮らしのことば新語源辞典』(講談社)によると、ウナギは『万葉集』などに「ムナギ」とあり、これがウナギの古名だという。
同書では、有力な語源説として、ムナギのナギはアナゴのナゴと同じで、蛇などの意の琉球語ノーギと関連づける説を紹介し、ナギ・ナゴとナガシ(長し)の語幹ナガとの関係について触れている。
この場所にいつから人びとが住むようになったかにもよるが、ウナギの地名がムナギの「ムナ」「ムネ」「ナギ」や「ウナ」などから変化し、生まれた可能性は考えられないか。
『地名用語語源辞典』(東京堂出版)によると、「ムナ」は、ミネ(峰)、ムネ(胸)、ムネ(棟)、ウネ(畝)などと同じく高く盛り上がった所を意味するらしい。
「ムネ」は、アゼ(畦)、ミネ(嶺)、ウネ(畝)の他、中間が空虚になった地形や荒れて痩せた不毛の地などを指すムナ(虚)がある。
「ナギ」は、山のくずれた所や崖、材木や薪炭材をすべらせて落とす坂道、焼畑などを表すという。
地形を表す意味がいくつも見られ、そうしたうちのいくつかが、丘陵の高台にあって坂が続く鰻廻間に合致するとはいえないか。
また、『地名の語源』(角川書店)によると「ウナ」は、山嶺の他、ウンナンサマ(田の中の神)を表すという。鰻廻間のすぐ近くに「社口」(しゃぐち)という地名があり、農業の神が祭られていたという『猪高村物語』(小林元著)の考察は前回紹介したが、なにかつながりがあるのだろうか。どちらも猪子石村の奥にあって、水源地であった可能性があることも気になる。
以上は、私の勝手な想像にすぎないが、ひょっとしたら地名の由来につながるヒントが隠されているかもしれない。
これまでにたくさんの地名が消え、改変されてきた。今も残る古くからの地名は、私たちに歴史を伝え続けてくれている。