里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

【新美貴資の「めぐる。(128)」】やりたいことをやる 今を生きるために

〈『日本養殖新聞』2023年2月15日号寄稿〉

気が付いたら、今年もあっという間に1月が過ぎ、2月に入ってしまった。このままだと、またたく間に3月も終わりそうである。

みなさんは、今年やってみたいことはありますか。一度きりの人生、楽しまなければもったいない。オリバー・バークマン著『限りある時間の使い方』(かんき出版)によると、80歳くらいまで生きるとして、人生はたった4000週間しかないという。

私の年齢からすると、残されている時間は、1500週間を切っている。生きている間に、あとどれくらいうな丼を食べられるのか。そう考えると、次に食べる一杯が、とても有難く、格別なものに思えてくる。

人間は、自分に死がいつ訪れるのか、誰もわからない。ただ一つ確実なのは、この瞬間もみんな死に向かっているということである。だから、今を生きる。このことの大切さを、ひしひしと感じている。

過去を引きずり、未来に縛られていては、なにもできない。今やるのか、やらないのか。大事なのはそこではないか。では、私が今年のうちに取り掛かっておきたいことを記したい。

1つ目は、鰻の付く地名の調査である。これは前号でも書いた。地名は、小字だけでも全国に数百万あるという。その一つひとつに命名した者がいる。地名について考察することは、時を超えた先人や風土との対話であり、想像しただけでわくわくする。

ウナギの地名の起源を探るためには、ウナギの語源や方言はもちろん、日本語の成り立ちまで思索の対象に入れなければならないだろう。ウナギは、あらゆる世界につながっている。

2つ目は、名古屋のウナギの食べ歩きである。名古屋市内にウナギ屋は何軒あるのか。昔と比べて、増えているのか減っているのか。ウナギ屋とは、どういった店まで含めるのか。なかには、ウナギだけでなく、他の魚介類や畜肉などの食材を用いて提供している店もある。

こうしたことを調べたり、考えたりしながら、全ての店を食べ歩いて、名古屋のウナギの味を体に染み込ませたい。そして、ウナギを通して名古屋を考えたい。

3つ目は、名古屋のウナギ、正確には蒲焼きのルーツ探しである。伊勢湾奥に位置する名古屋は、昔からウナギがたくさん獲れた。『江戸時代 人づくり風土記23 ふるさとの人と知恵 愛知』(農山漁村文化協会)には、江戸時代の史料から、現在の名古屋市内に含まれる下之一色村、東福田新田村、茶屋後新田村などで、ウナギが産物であったと書かれてある。

ウナギは身近な魚であった。この地方のたまりしょうゆを基盤とする「うま口文化」の影響を受け、関東でも関西でもない、独自のウナギ食文化が生まれ、発達したことは間違いない。

このほかにも、ウナギについて調べてみたいことは、まだまだある。私の好きな水木しげるの言葉に「好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること」がある。寝食も忘れるくらい無心で打ち込めるものがある。それは、一番幸せなことなのだと思う。