〈『日本養殖新聞』2019年8月25日号掲載、2020年4月18日加筆修正〉
岐阜県郡上市美並町の粥川に行ってきた。以前にも紹介したが、この地域ではウナギを神の使いとしてあがめ、昔から大切に守り続けている。毎年7月、星宮(ほしのみや)神社でウナギの供養祭が行われるが、今年は関係者の都合などにより中止となった。訪れる機会を逃してしまったが、今月の天気が良い日に思い立ち、一年ぶりに再訪した。
この神社には、幸福や知恵を与え、願いをかなえてくれるという虚空蔵菩薩が祭られている。虚空蔵信仰とウナギの関わりは深い。ウナギは虚空蔵菩薩の使いであるとも、好物であるとも言われ、村や同族、特定の家などで、ウナギを食べない伝承が今も各地にたくさん残っている(『虚空蔵菩薩信仰の研究』佐野賢治)。
長良川鉄道の美並苅安駅から無料のレンタルサイクルに乗った。星宮神社までは約4キロ。長良川と合流する粥川橋から脇道に入り、川の上流に向かって坂道を進む。民家や田畑はあるが人影はなく、セミの鳴き声と水の流れる音だけが響く。
粥川の幅は、下流で3メートルもないくらい。澄んだ水のなかに、アユだろうか。活発に泳ぐ魚群がいくつも見えた。川は湾曲を繰り返し、生い茂る木々が所々で水面をおおう。あたりは「水源かん養保安林」に指定され、豊かな谷水がこんこんと注ぐ。粥川谷には豊かな自然が残っており、地元の人びとによって保護されている。
駅のあたりから星宮神社までの道は「円空街道」と呼ばれる散策路の一部になっている。この地に木地師の子として生まれたと言われ、生涯にわたり数多くの仏像を彫り、諸国を行脚した円空が、幼少の頃より歩いたと伝わる道である。
神社までの途中には、石仏やほこらや堂、円空がこもったと言われている円空洞など、多くの遺産がある。また神社のすぐ横には「美並ふるさと館」があり、この土地の文化や昔の人びとの生活を知ることができる。
大正13年に粥川谷は「ウナギの生息地」として国の天然記念物に指定される。道には、ウナギの捕獲を禁止する看板が立てられ、保護の協力を呼びかけるものもあった。
粥川では、今もウナギを食べないという禁忌が残っている。伝承によると「藤原高光が妖鬼退治のため山に分け入り、道に迷ったとき、虚空蔵菩薩の使いと言われるうなぎの道案内で山頂に着くことができた。高光はうなぎを矢納ヶ淵(やとうがふち)に放ち、神のお使いだから大切にするように命じたという」(『星宮神社と粥川寺』岐阜県郡上市美並町高砂 金幣社 星宮神社より)。
約2時間かけて山道を登り、星宮神社に着くことができた。参拝してから近くの矢納ヶ淵へと向かった。そこで地元在住の60代の男性が声をかけてくれ、この神社の社叢(しゃそう)林とふるさと館が、日本森林学会の林業遺産(2018年度)に認定されていることを教えてくれた。
この宮神社の縁起については、妖鬼を退治した藤原高光によって創建されたと伝わるが、さまざまな諸説がある。伝承が確かなら、天暦(947~957年)の始め頃からウナギは大切なものとして、この地の人びとから守られてきたことになる。中世の頃に盛んであったという山岳信仰や虚空蔵信仰の修験の里は、今も荘厳な空気で満ちていた。
今回もウナギを見つけることはできなかった。神社を管理している女性に聞くと、粥川には今も太いウナギが確かにいるという。きっといつか会える。期待を胸に、日が傾き始めたウナギの聖地を後にした。