〈『DoChubu』2011年10月19日更新、2020年4月22日加筆修正〉
海と山に囲まれた深い自然のなかにある三重県大紀町。急峻な山々が広がるなかをぬうようにして河川が蛇行し、川沿いや海辺の平地に民家が密集する農山漁村地域です。起伏に富んだ海岸線は、太平洋へと広がる熊野灘に面し、さまざまな魚が獲れる好漁場となっています。今回は、大紀町で行われている漁業や獲れる魚、地産地消の取り組みなどについてうかがおうと、まだ暑さの厳しい9月半ばに錦漁港を訪れました。
この日は朝から小雨がぱらつくあいにくの天気。深い森林が覆うまがりくねった山道を走り続けると、だんだんと視界が広がって、潮の香りが漂う漁村の光景が飛び込んできます。さらに進むと、穏やかな海が目の前に横たわっていました。水揚げ作業も終わって一段落したのか、早朝を過ぎた漁港は人影もまばらで、とてものんびりとしていました。
いろんな漁業、養殖が営まれている錦地区
漁港の周辺をしばらく散策した後、港のなかに事務所を置く三重外湾漁協の紀州北支所錦事業所を訪問。まき網漁を行う同支所理事の谷口兄さん、マダイ養殖を営み、県海水養魚協議会会長でもある西村宗伯さんから話をうかがいました。
魚の移動をさえぎるようにして漁具を設置し、網へと誘導して獲る「定置網」。帯状の長い網を海に流して魚をからませて獲る「刺し網」。2隻の漁船で魚の群れを網で巻いて獲る「まき網」など、錦地区ではさまざまな漁が行われています。獲れる魚介類も、ブリ、アジ、サバ、イワシ、タコ、イセエビ、アワビなど、一年を通してたくさんの種類が水揚げされます。
9月は一年でもっとも魚の水揚げが少ない時期で、10月になるとイセエビ漁が始まり、秋の深まりとともに獲れる魚も量、種類が増えてくるそうです。ちょうど今はボラの卵巣を塩漬けし、乾燥させてつくる珍味のカラスミの製造が盛んです。
また、漁港のある錦湾は静かな入り江が広がっていることから、ハマチやマダイの養殖が昔から盛んです。このほか、一般客がイカダで釣りを楽しむことができる遊漁も同事業所や地元の業者が運営しており、遠方から多くの人々が訪れます。
地元で魚の消費拡大を図る
錦地区の漁業の現状について谷口さんにたずねると、他の多くの漁業地区と同様に就業者は減少し、高齢化が進んでいると説明します。「魚価が上がらない。獲れる量も少なくなっている」ことに加えて、漁船の燃料や資材代などの上昇が、経営の大きな負担となってのしかかっているそうです。
錦地区の漁業の活性化を模索する谷口さんは、アジやサバ、イワシなどの魚を獲る、まき網漁を経営する漁師でもあります。網船と付属船の2隻で出漁し、20名の乗組員とともに魚を獲り続けています。日没後に出港し、再びもどるのは夜明け前。海上での長時間の労働はけっして楽な作業ではありません。そんな厳しい環境のなかにあっても、地元の浜に対する愛着が話をうかがうほどに自然と伝わってきました。
地域の基幹産業でもある漁業を元気にしようと、錦事業所で新たに取り組んでいるのが消費者への直接販売です。まずは地元の人々においしい魚をもっと食べてもらおうと、今年の春から事務所の一階で週に2、3回、鮮魚の販売を開始。さらに毎週月曜には、職員が事務所の軽トラック「魚々錦(とときん)」に魚を積んで山間部をまわる移動販売も始めました。今年6月からは、町内の山村で毎週1回開かれていた朝市にも魚を運んで出店するなど、地元での消費拡大に力を入れています。
地域の魅力も込めて魚を売る
錦地区では、たくさんの魚を自分でさばいて干物などに加工する人も多く、事業所での鮮魚の販売は人気を集めているそうです。また、近くに店のない山間部の人たちも、移動販売によって新鮮な魚を購入することができ、「魚々錦」が来るのを楽しみに待つ常連の客もいるそうです。
販売する側にとっても、魚の食べ方や好みなど、これまで当たり前だと思っていた漁村の常識を覆すような声もあり、客との交流からはいろんな学びがあるようです。「お客さんのニーズを探ることができる。どんな魚が食べたいのか知ることができ、とても勉強になります」と谷口さんは話します。
「錦は漁業を抜きにしては成り立たない町。食材としてだけでなく文化も含めて魚を売っていければ」。地元だけではなく、県内で開かれる他地区のイベントにも積極的に出店し、地域の魅力も含め魚を売り込んでいきたいと意欲をみせていました。
谷口さん、西村さんから話をうかがった後、外へ出てみると空はすっかり晴れて、気持ちのいい青空が広がっていました。錦事業所では、地元でとれるおいしい魚をもっと知って、食べてほしいとの想いを胸に、試行錯誤を重ねながら消費の拡大を図り、漁業を元気にしようと挑戦を続けています。(新美貴資)