里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。(102)」】アユの最期と命の連鎖 晩秋の長良川に通う

〈『日本養殖新聞』2020年12月15日号寄稿〉

11月は中頃から岐阜県内の長良川に通い続けた。中流域のあるところによどみがあり、産卵期のアユがたくさん身を寄せるのだ。

ある晴れた日の昼下がり。その場所に行ってみると水面のあちこちでアユが跳ねている。好天が続く日中は陽気が感じられ、冬になると吹き荒れる寒風もまだやわらかい。

胴長を着込んで魚たちを驚かさないようそっと水の中に入る。そして、録画ボタンを押したカメラをゆっくり沈めて川底に固定した。

この時期のアユは警戒心がゆるむようだ。それでも私が水面に近付くとふっとどこかに消えてしまう。それから10分、20分…。離れたところからじっと様子をうかがっていると、魚たちは少しずつ戻ってくる。場所を変えてカメラを工夫し、何度も撮影を試みた。

日によって違いはあるものの、午後3時から5時くらいまでの間にアユは多くやってきて、大きな群れを作っているようだ。地元の漁業関係者によると、ここにいるアユは産卵した後のものとこれからのものの両方がいるという。夕暮れが進んであたりが暗くなってくると、魚たちは一斉にどこかへ消えてしまう。

産卵するアユは、その時が来るまで流れのゆるやかなこの場所で体力を温存し、命をかけた営みの場に向かうのだろう。

明らかに精彩さを欠いた1匹のアユが水面近くをふらふらと泳いでいる。よく見ると、体表の一部が白くただれている。そのようなアユを来るたびに目にした。

極度に衰弱し、腹を上にして泳いでいたり、水際に横たわったりしているアユもいる。産卵を終え、命が尽き果てようとしている場面を何度も見た。

アユは一年で生を全うすることから「年魚」と呼ばれる。まれに越年するものもいるらしいが、ほとんどは産卵後に死んでしまう。 

死因は、産卵時における体力の消耗とその後の水温低下にあるという(参考:立原一憲、木村清朗〈1988年〉「池田湖における越年アユについて」、『日本水産学会誌』54巻7号)。

では死んだアユはどうなるのか。ものすごい数が、仲秋から初冬にかけて産卵するのである。長良川においてアユの死骸が流され、たまるようなところがあるとは聞いたことがない。

この時期に鳥が相当の数のアユを食べていることは知っていた。少し離れたところで、たくさんのサギが羽を休めてじっとしている。カワウやカラスもいる。上空から急降下し、表層の魚(おそらくアユだろう)を捕らえるトビも見た。みんな弱ったり死んだりしたアユを狙っているのだ。

川の様子を見に来た別の漁業関係者がつぶやいた。「鳥にとっては盆と正月が一緒に来るようなもん」。鳥だけではないだろう。この川で暮らす生き物にとり、産卵後のアユは大いなる恵みとなるのだ。

次代の命を託し終えたアユは他の生き物に次々と捕食され、消えてゆく。その最期と命の連鎖を目の当たりにし、また一歩自然に近づくことができた気がした。

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よどみの中をゆっくりと泳ぐアユの群れ

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