里山川海を歩くライターの活動記録

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【新美貴資の「めぐる。〈120〉」】大切な生命を弔う供養 人間と生きものを物語る

〈『日本養殖新聞』2022年6月15日号寄稿〉

世の中では、多くの「供養」が行われている。供養とは、「仏前や死者の霊前に有形・無形の物を供え、加護を願い冥福(めいふく)を祈るための祭事を行うこと」とある(新明解国語辞典〈第五版〉)。

ネットで「供養」を検索すると、墓地、葬儀、寺院などの情報がたくさん出てくる。供養の対象は、人間だけではない。動植物の他、包丁やはさみといった道具、人形や写真なども含まれている。また、家族の一員としてかわいがられた犬や猫などのペット供養は、近年ますます盛んなようである。

なぜ日本人は死者だけでなく、他の生きものや身近な物まで供養するのか。

ウナギを見てみると、生産、流通、飲食業者らによる供養が毎年各地で行われている。その地区の同業や関係者が集まったり、一つの蒲焼店だけで行ったり、開催する規模や形式はさまざまなようだ。

5年前に岐阜市中央卸売市場で行われた魚供養祭を見たことがある。荷捌き場に設けられた会場に、行政の担当者、卸や仲卸の従業員らが参列し、神主が祝詞を読み上げていた。そして、市内を流れる長良川に、ウナギとコイを放したことを覚えている。

このような魚の供養は、魚介類を取り扱う水産関係者が主催し、神事や仏事と放生(ほうじょう)を合わせて行うのが、多く見られる特徴のようである。

こうした供養には、多くの命を絶つことへの償いや生きものへの感謝の気持ちだけでなく、命を奪う行為によって自らの心に宿る恐れや後ろめたさといったものを、解き消したりやわらげたりする意味が含まれているのかもしれない。また、豊漁や商売繁盛といった人びとの願いも込められている。

日本人と関わりの深い魚の供養は、全国各地で行われている。田口理恵編著『魚のとむらい』(東海大学出版会)には、漁獲物の供養碑の数は全国で1300基を超えるとある。私が住んでいる愛知県にも多くあり、なかでも知多半島に集中して存在している。

名古屋市とその周辺で生きものの供養碑を調べてみたら、たくさん見つかった。このうち、「鳥獣魚貝類うなぎ供養塔」(豊田市・洞泉寺)、「動物慰霊碑」(名古屋市東山動植物園)、「畜魂碑」(名古屋市・八事霊園)を訪ね、手を合わせてきた。

一つひとつの供養碑に、人間と生きものの深い物語があるはずだ。自然があって私たちがある。そのことを忘れ、思い上がってはいけない。数多くある石碑は、後世に伝え残す戒めであり、食が乱れ、生命に対する意識が薄らいでしまった現代の人びとに対する、先人からの伝言が込められているのではないか。

供養を通して、あらゆる現象・事物に霊魂の存在を認めるアニミズム(精霊崇拝)や自然・死生観など、私たちの根底に眠っているものを見ることができる。供養は、その時々の世相の影響を受けながらも、大切な生命を弔う行いとして、いろいろな意味を抱合し変化しながら、これからも継承されていくのだろう。

洞泉寺にある「鳥獣魚貝類うなぎ供養塔」(2002年建立)。地元の飲食業者で組織する同業組合によって供養が行われているようだ