〈『日本養殖新聞』2017年2月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉
今年初めに開店したウナギ専門店を訪ねるため、長野県飯田市に向かった。乗り込んだバスが天竜川にそって広がる伊奈谷に入ると、南信州の中核をなす都市が、盆地にはりつくようにぽっかりとあらわれる。終着地で降りると、上空は澄みわたり、初春のような陽気につつまれた。
飯田駅から車で約15分。商店街をぬけ、盆地を北上した郊外にその店はある。車の往来が多い道ぞいにあるものの、目立つ看板やのぼりはない。知らなければ通り過ぎてしまうような一風変わった外観の趣に、期待をふくらませて入店した。
木のぬくもりがあたたかい古民家風の店のなかは、香ばしい炭焼きのにおいが立ち込め、数組の客が談笑しながらウナギを頬張っていた。天井は高く、ささえる柱や梁は太くて立派だ。調理場は開放され、客席からも様子がわかる。店内は、客と店員が気さくに交わす声がひびき、まるでずっと前から地元で親しまれていたかのようなにぎわいに満ちていた。
1月5日に飯田市の座光寺(ざこうじ)地区で開業した「うなぎや」。調理を担当するのは店長の棚田郁哉さん(28)で、代表をつとめる父・豊さんが経営の舵をとる。母、姉、妻も接客し、家族が仲良く働く。
メニューはうな丼、うな重、ひつまぶしのほか肝焼き、う巻き、うざくなどがそろう。しょうゆでウナギを焼いためずらしい「さかほこ焼」や、かつて豊さんが経営にかかわっていた養魚場で生産された地元ブランドのアルプスサーモンも、丼や刺身で味わえる。
この地方では、ウナギはお重で食べるのが一般的な文化で、うな丼やひつまぶしの注文は少ないという。棚田さんが薦めてくれたひつまぶしをいただく。ていねいに焼き上げられたウナギは「外はぱりっ、中はふわっ」という説明通りの食感で、名古屋の修業先で使っていたたまりと、地元産のしょうゆなどを合わせて作った、特製のたれであっさりと仕上がり食べやすい。
ひつまぶしには、薬味やだしのほかにもウナギと相性のよいとろろが付き、いろんな味わいが楽しめる。この一品だけを見ても、修業先で学んだ技と味をうまく取り入れつつ、地元の嗜好や自身の創意を加えた工夫の跡がうかがえる。「教えていただいたことを受け継ぎながら、自分なりのアレンジも足して、すこしでもよいものをお客さんに提供したい」と棚田さんは話す。
「ウナギの食文化を守りたい」。そのために棚田さんが自分の店をもとうと決意したのは10年前になる。「高校を出て進路を決めるときに父と話をして、ウナギ職人の仕事はやる価値があると思ったんです」。以来、故郷をはなれ最初は浜松で、それから名古屋に移り、三軒の専門店で日夜厳しい修業にはげんだ。
ウナギ資源の激減による価格高騰のあおりを受け、専門店が廃業するニュースに落ち込み、夢をあきらめようと思ったことも。それでも乗り越えることができたのは「覚悟と目的があったから」。「蒲焼きは江戸時代から続く食文化。絶えるものではけっしてない」と信じて歩んできた。
季節にあわせた催しなど「みんながやらないことをやっていきたい」と豊さんは笑みを浮かべ、棚田さんは「人と同じことをしていたら生き残れない」と目を輝かせる。そんな父子が完成させた「くせのある凝った店」は、どこか懐かしさを感じさせ、心地よい雰囲気にひたっていると、時の流れを忘れてしまう。10年後、いったいどんな店になっているのか。想像すると胸が弾む。南信州でウナギ屋を営む、家族の新たな物語が始まった。