里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(49)」〉和食のすばらしさを伝える 和食・ふぐ「豆たぬき」店主 鈴木貴志さん

〈『日本養殖新聞』2016年7月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

名古屋の空をどんよりとした雲がおおう。この梅雨が明けると気温は一気に上昇し、丑の日に向けウナギの商戦は過熱する。名古屋駅の高層ビル群が近くに見える中川区松葉町。新しい家々がならぶ閑静な住宅街の一角に、和食とフグの専門店「豆たぬき」がある。店内に入ると、愛くるしいたぬきの焼き物や筆で描かれた素朴な絵葉書などが迎えてくれ、家庭的な雰囲気のなか、和を基調にした客席でゆっくりと食事を楽しむことができる。

同店が毎月8の日に数量限定で提供してきた「ひつまぶし」。通常価格3700円のところ888円で食べられるとあって、この日を楽しみに訪れる客も多い。この取り組みは、店主の鈴木貴志さん(47)が、名古屋の市章の「八」にちなみ、なごやめしを8の日に食べて全国に発信しようという市民グループに昨年参加してから始まった。

ひつまぶしは10年前のオープン当初から提供していたが、「手頃な値段のなごやめしとして売りたかった」と鈴木さんは話す。ひつまぶしにはとろろが付き、ご飯にかけてウナギと一緒に食べるのが同店のスタイル。1杯目はとろろをかけワサビを添えて。2杯目はそのままウナギだけを。3杯目は薬味をくわえ、4杯目は出汁をかけてお茶漬けに。最後の5杯目は好みでの食べ方を勧めている。

とろろは、最初に食べることで血糖値の上昇を防ぎ、疲労回復にも効果があるという。かけて食べてみると、ウナギのこくのある脂、くっきりとしたたれの味わいがなめらかに。ぱりぱりのウナギとふわふわのとろろは相性も抜群。のど越しが良くするすると口のなかに入る。2杯目以降の味わいも新鮮で、蒲焼きの風味を損なうことなく、最後までさっぱりと味わうことができる。胃腸の負担もやわらげるので夏場にぴったりだ。

「体に良いものを提供したい」という鈴木さんは、食べれば食べるほど健康になる体にやさしい食事づくりを心がける。そんな思いを持つにいたるまでには、いろんな経験があった。親しかった客が末期のがんに見舞われ、専門医の指導のもと食事療法を手伝う。がんについての専門書を読みあさると、どの本にもバランスの取れた和食を食べなさいと書かれてあった。親類が1型糖尿病をわずらったときも、病気について調べると同じようなことが書かれてあり衝撃を受ける。このとき鈴木さんのなかに、体を健康にする和食のすばらしさを伝えたいという強い思いが生まれる。

ひつまぶしにとろろをつけて提供するのも、その気持ちの表れ。「この食べ方を名古屋で広めたいという使命感があり、無理な値段でも続けてきました」。安直な安売りなどではけっしてない、確固たる信念が鈴木さんのなかにはあり、すべての行いの源泉となっている。

親が喫茶店を営んでいたことから、学生のころより料理の道に入る。老舗の活魚や懐石料理の店などで厳しい修業をつみ、20年以上にわたり和食の世界で腕をみがいてきた。「いつか自分の店をもつ」という目標を支えに、ときには包丁が飛んでくる厳しい縦社会のなかで、人一倍多く働き、先輩の味と技術を必死で盗み覚えた。

「魚介類はなんでも扱うことができる。ウナギも焼いていた経験があり自信を持っています」。あらゆる食材の目利き、調理に長けた和食のスペシャリストは、穏やかな表情のなかに情熱を燃やす。7月からは、毎月8の日に新たに考案した「なごやめし弁当」を、18、28日には特別価格のうな丼をとろろを付けて数量限定で提供する。

温厚な鈴木さんだが「仕事中は人が変わると言われるんです」。料理と向き合う姿勢は真剣で、自らにも他人にも厳しい。「小さな小さなまちの料理屋」で、生まれ育った地域のつながりを大切に一人一人の客をもてなす。厨房で黙々と作業に打ち込む真摯な姿からは、一期一会の心が伝わってきた。

※記事中に記載されている価格は、取材当時のものです。

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