里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(45)」〉未来を考え行動する 「しら河」今池ガスビル店長 森田恵次さん

〈『日本養殖新聞』2016年3月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

料亭「大森」と、ウナギ料理をメインに和食を提供する「しら河」4店舗(うち1店は持ち帰り専門)を名古屋市内で展開するしら河グループ。社長で三代目の兄・大延さんを支え、今池ガスビル店長として腕をふるうのが森田恵次さん(36)。千種区の繁華街にある店をまかされて7年。接客から営業、人事やメニュー開発まで、運営のすべてをにない、忙しい毎日を送る。

地下鉄「今池駅」から歩いてすぐのところにある店は、昨年に全面改装。ゆったりとくつろぐことができる店内は、落ち着きのあるモダンなつくりが好評で、連日多くの客でにぎわう。香ばしさとうまみがあって、甘辛いたれとの相性も抜群な名物の「ひつまぶし」は、そのときの最良なウナギを産地から厳選して取り寄せ、職人がていねいに炭火で焼き上げる。

「おいしいウナギを提供するのが、当たり前の使命。本当の魅力をお客さんに伝えたいです」。ウナギについて語り始めると止まらない森田さんは、胸のなかにあふれる思いを言葉であらわす。

終戦直後、まだ食糧も満足にない混乱の時代に、祖父母が天ぷらの食堂を開いたのがグループの始まり。祖父母が立ち上げた大森は、二代目の父・堅一さんが跡をつぎ、母・桂子さんが女将をつとめ、料亭としての地歩をかためる。そこからさらにしら河を生んで支店を増やし、地元の名古屋はもちろん、遠方からも来客が絶えない、人びとから親しまれるグループへと成長した。

家業の起点となった西区の浄心(じょうしん)で育った森田さん。「海外が好きで、外交官になりたかった」と学生時代を振り返って笑う。中学生のときには、米国のオレゴン州に短期留学。そこで大きなカルチャーショックを受け、持ち前の好奇心や行動力が一気にふくらむ。東京の大学在学中には、リュックを背負い20ヵ国以上を旅してあるいた。その一方で、子供のころから店を手伝い「休み方を知らない」くらい働き続け、また懸命な父母の姿にまじかで接し、仕事の厳しさを幼いころより身につける。

大学を卒業すると、東京で建材をあつかう大手商社に就職。朝から終電まで、ときには会社に泊まり込んで猛烈に働くサラリーマン生活を送るが、いろんなことを体験させてもらった家族に恩を返したい、父や母、兄を支えたいとの気持ちから家業を継ぐことを決意し、3年後に故郷へ。店の歴史は、家族が歩んだ足跡であり、商いの世界で苦労をかさね、ここまで築きあげてきた祖父母や父、母に畏敬の念をこめる。

「なんで蒲焼きの食文化が300年以上も続いてきたか。漁師や養鰻業者、問屋まで、みんなが幸せにならないと、この業界は成り立たない。一緒にやっていける社会が一番で、そのために動いていきたい」。兄の大延さんには、四代目となる6歳の息子がいる。将来を見据えて、いまを生きる。このような考えと行動が、きっと消費者の理解を得て、さらに支持を集め、未来につながるのだろう。

ウナギの資源をめぐる問題は、解消されないまま混迷の度合いを深めているが、まず十分な調査を行い、整っていないデータをきちんと集め、そのうえで議論をして判断を下すべきだと森田さんは言う。たとえばシラスウナギの採捕についても「本当に不漁なのか、データがなさすぎる。夏場に稚魚が国内の河川で捕れる話もあり、一年かけて調査をするべき」。専門店同士の交流の場でも、積極的に情報や意見を発信し、論議の輪に加わる。熱く、そして冷静に。ウナギ食文化のこれからを考え、行動する森田さんの挑戦は続く。

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