里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(57)」〉日本一のアユで町をおこす 和良おこし協議会事務局長 加藤真司さん

〈『日本養殖新聞』2017年3月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

郡上の里に春がやってきた。城下町の八幡を中心に、山村が点在する岐阜県郡上市。清らかな水の恵みが、豊かな暮らしと多様な文化を育んだ。長い年月をかけ風土に人びとの営みが溶けこみ、自然とちかい濃密な関係から固有の伝統や習俗がうまれ、受け継がれてきた。

日差しをやんわりと遮る曇り空。一人だけの客をのせ八幡を発った小さなバスは、商家が続く町のなかをぬける。幹道からそれ細い道に入ると、小さな車体はうなり声をあげ、一気に上り始めた。傾斜のきつい山道は、右に左に激しくゆれる。あたりに民家はなく、車窓からは山林しか見えない。長い道を上り終えると、ぽっかりと平地があらわれ、周囲と隔絶された目的の地にたどり着く。あたりには、溶けてかたまった雪がところどころに残っていた。

アユとオオサンショウウオと蛍の町、和良。町のなかを和良川がゆっくりと流れ、幹線ぞいには商家や民家がならび、道の両側には田畑が広がる。病院や市役所の出先である振興事務所のあるあたりでバスを降りると、和良おこし協議会の加藤真司さん(49)が笑顔で迎えてくれた。同協議会の事務所がある近くの建物に移動し、薪ストーブで体をあたためながら、これまでの活動についてうかがった。

市内外から集まる12名ほどの住民グループによって構成される協議会は、過疎化がすすむ集落の存続を図ろうと、地域づくりに取り組んでいる。加藤さんは3年前に協議会の事務局長に着任し、地域おこし協力隊としても、地元の人びとのいろんな活動を支えてきた。

集落の点検をはじめ、空き家対策や移住の促進、町の広報から食と文化の交流を進める「田んぼオーナー制度」、米づくりの参加者を町外からつのる「ファームトラスト制度」など、関わってきた活動は多岐にわたるが、なかでも成功事例の一つとして真っ先にあげられるのが「和良鮎」のブランド化だ。

清流がながれ、季節になると良質な硅藻が繁茂し、住民らによって環境が守られている和良川では、すぐれたアユが育つ。毎年、高知県で開かれる、全国の河川から集めたアユを品評する「清流めぐり利き鮎会」では、最多のグランプリを獲得しており、「和良鮎」は日本一のアユとして浸透した。

「地元ではおいしさがわかっていなかった。それが誇りになった。和良のアユは日本一と自慢できる。受賞は大きかった」。ブランド化に力を注いできた和良川漁協や和良鮎を守る会をはじめとする住民らの活動に参加してきた加藤さんも、喜びをあらわす。受賞をきっかけに、友釣りの遊漁者だけでなく、和良鮎を扱いたいという料理店も増えた。こうした反響がブランドの魅力を広め、価値をさらに上げる好循環を生み、地域の活力につながっている。

加藤さんは、この町で生まれ、高校時代までを過ごす。学生のときから建築が好きで、高校を卒業すると名古屋に移り、デザインの専門学校に通いながら働き学んだ。そのまま名古屋で職を得て、数多くの飲食店の設計にたずさわり、全国各地を飛び回った。そんななか、実家の都合で12年前に和良にかえる。

アユやオオサンショウウオに詳しい加藤さん。子どものころは、和良川やその支流で遊び、アユを釣ったり突いたりして捕り、主のようなオオサンショウウオを川底に見つけてながめ、毎日のように川で遊んだ。

協議会での仕事について「この3年間は全部印象に残っています。大変な思いもいい思いもしました。課題を解決するために地域に入っていく。スキルをもった人をつないでいくのが仕事だと思うんです。この経験はとても大きく、勉強になりました」と目を輝かせ振り返る。

事務局長としての任期はこの3月で終わるが、故郷とともに生きる加藤さんの地域おこしは、これからも続く。

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