里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

【DoChubu掲載】〈大紀町特集〉地元の魚をPR!消費者との交流を進める錦の漁師たち

〈『DoChubu』2011年10月28日更新、2020年4月22日加筆修正〉

f:id:takashi213:20200312131608p:plain

錦漁港で谷口兄さん(右)と西村宗伯さん。後方の漁船は谷口さんがまき網漁で乗りこむ船です

海岸線が複雑に入り組む三重県南部の沿岸では、穏やかな海の広がる入り江にイカダを浮かべ、イケスのなかで魚を育てる養殖業が盛んです。同県で生産されている養殖魚の中心はマダイですが、錦地区ではマダイの他にもハマチの生産が行われています。

今回、三重外湾漁協の紀州北支所錦事業所で話をうかがった西村宗伯さんは、錦湾でマダイ養殖を営んでいます。地元の漁村で生まれ育った後、東京の築地市場で働いていましたが、10年前に家業を継ぐことを決意して故郷の海へともどりました。

「いつかは帰ろうと思っていた」と話す西村さん。笑顔からは白い歯がこぼれます。漁師になってからは朝から晩まで、休む間のない忙しい毎日が続いています。現在、西村さんは三重県内の養殖業者で組織する県海水養魚協議会の会長も務めており、養殖業者の代表として、県産の養殖魚のピーアールなどの活動も精力的に行っています。

台風が来ると寝られない

f:id:takashi213:20200312131713p:plain

錦湾の湾奥にある錦漁港。ここから湾口へと広がる湾内でマダイやハマチが育てられています

f:id:takashi213:20200312132205p:plain

錦湾の養殖漁場。湾内にはたくさんのイケスが浮かんでいます(写真提供:西村宗伯さん)

小さな稚魚をイケスの中に入れ、エサをやりながら管理して大きく育てる魚の養殖。マダイ養殖では、8センチぐらいの種苗をイケスに入れて、2、3キロのサイズにまで育てて出荷します。出荷までに要する期間は、サイズによって異なりますが1年半から3年ぐらい。その間、魚の健康状態はもちろん、水温や水質など海の環境にも絶えず注意を払わなければなりません。自然と生き物を相手にする養殖は、気を抜くことのできない緊張の場面が続きます。

ちょうど訪れた少し前にも大型の台風がこの地方を襲い、県内の一部の養殖業者が大きな被害に見舞われました。西村さんは「台風が来ると寝られない」と話します。毎朝6時過ぎから海にでて、出荷の準備や餌やり、イカダの修理や網の手入れなど、日が暮れるまで作業に追われる養殖の仕事は、けっして楽ではありません。

地域で獲れる魚をもっと食べてほしい

f:id:takashi213:20200312132257p:plain

西村宗伯さんが大切に育てている養殖マダイ(写真提供:西村宗伯さん)

県海水養魚協議会では、安全・安心はもちろん、より良質なおいしいマダイを育てようと、力を入れて取り組んでいます。県産の養殖魚をもっと多くの人に食べてもらいたいと、会長の西村さんも言葉に力を込めます。

また、錦地区では郷土の魚として昔からブリが好まれ、「ブリちらし」や「ブリご飯」といった料理が伝わっています。地元では定置網漁によって春に獲れたものを「桜鰤」と名づけ、錦の魚としてピーアールも図っています。

消費者との交流に積極的な錦事業所では、昨年(2010年)4月に初の試みとなる「錦ぶりまつり」を開催。町内外から4000人を超える人々が漁港を訪れ大いににぎわったそうです。今年(2011年)は東日本大震災の影響で中止となりましたが、今後も継続した開催に意欲をみせています。

谷口さん、西村さんからいろんな話をうかがい、錦地区の漁業や漁村を元気にしたい、自分たちの地域で獲れる魚をもっと食べてもらい、地域の魅力も知ってほしいという想いが強く伝わってきました。こうした想いから、事業所での鮮魚の直売や移動販売の「魚々錦」のような新たな取り組みが生まれ、すでに動き出しています。

山と海に囲まれた大自然のなかで、地域の絆を大切にしながら漁を続ける生産者たちの挑戦。こうした活動が実を結ぶことを願いながら、晴れ渡る青空と穏やかな潮風が心地よい港町を後にしました。(新美貴資)

みつける。つながる。中部の暮らし 中部を動かすポータルサイトDoChubu