里山川海を歩くライターの活動記録

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一番に残る印象はシラスウナギを育てることができたとき 3月で水産研究・教育機構を退職した田中秀樹氏インタビュー

〈『日本養殖新聞』2018年寄稿、2020年6月25日加筆修正〉

ウナギの人工種苗生産の研究において大きな功績をあげ、この分野の研究をリードしてきた国立研究開発法人水産研究・教育機構増養殖研究所ウナギ種苗量産研究センター量産基盤グループの田中秀樹グループ長が2018年3月30日で定年を迎え退職した。

田中氏は京都大学農学部水産学科、さらに同大学院を卒業後、水産庁水産研究所(当時)に入所。36年間在職し、60歳を迎えた。同年4月1日付けで近畿大学水産研究所の教授に就任し、業界の発展に寄与するさらなる活躍が期待される。

田中氏は退任前の3月28日、インタビューに応じ、これまでの研究生活などを振り返り以下のように語った。

▼ウナギ研究を振り返って

一番印象に残っているのは、初めてシラスウナギを育てることができたときで、2002年のことです。種苗生産という研究のなかで一番大きく進んだのは、ふ化した仔魚が餌を食べるようになったことでした。

その頃は、いかに安定して親魚から卵を採るか、採れた卵の質が良く、きちんとふ化するかということが研究テーマで、仔魚を育てるということではなかったので、ふ化して育てる見通しは誰も持っていませんでした。

人工ふ化の研究は長い歴史があります。1973年に北海道大学でできたのですが、親魚に卵を産ませることが安定せず、なかなか研究が進んでいませんでした。90年代にこの研究所で卵を安定して採るという研究が始まり、その副産物であるふ化仔魚をどう育てるのか、という研究にも取り組んできました。

まったく育たないという状況がずっと続いていましたが、本格的に研究をやり始めてから4年くらいで餌を食べるようになり、少しずつ育つようになりました。それからもう一段進んで、レプトセファルスになるのにまた2年。シラスウナギになるまでさらに2年くらいかかりました。

育てることのできた他の海産魚の仔魚とは、餌の食べ方が根本的に違ったので、そこにたどり着くまでにはすごく時間がかかりました。

▼ウナギとの関わり

ウナギを研究で扱ったのは、大学時代に魚の消化酵素の研究をやっていたときのことです。その酵素の材料としてウナギを扱ったことがありました。

水産庁水産研究所に入所して、ウナギの研究を本格的にやり始めたのは93年くらいからです。研究所に入所したのが82年なので、11年目だったと思います。

ウナギは不思議な魚です。生物として非常に面白い。マリアナの海域に1回調査に行きましたが、あんなところまで泳いで行っているんだと思うと感動しました。

レプトセファルスは、これで生きているのが不思議というような形、つくりをしている。なぜこれが育っていくのか、見ているのは非常に面白かったです。

▼現在の研究とこれから

今はなるべく低コストで安定したシラスをたくさんつくるための技術開発をしているところです。

あとどれくらいで量産化ができるようになるのか。それは社会情勢と関わってくると思います。今でもたくさんのお金をかければ量産はできないことはありません。もし天然のシラスウナギが捕れなくなりどんどん価格が上がって、人工のものが必要になり、天然のものより需要が上回れば、民間企業が参入して量産が始まると思います。今はまだ天然よりも、人工生産のほうがコストがかかるので、誰も手を出していないという状況です。

この先の天然資源の行方やワシントン条約の行方など、そういうところで状況は変わってくると思います。人工種苗生産の研究は一歩ずつ進んでいますが、一気に量産化するというのはなかなか難しいでしょう。

▼研究者としての今後

4月から和歌山県紀伊半島にある近畿大学の水産研究所に教職員として着任します。

ウナギの研究に関わるのかはまだわかりませんが、今やっている水産庁の事業でウナギに関わる部分の課題の一部は、引き続き行う予定です。またマレーシアに大学の研究所があり、そこにいるスタッフがマルモラータとバイカラ種の人工種苗生産に取り組もうとしているので、その手伝いをすることになるかもしれません。(新美貴資)