里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(8)」〉ナマズ養殖への挑戦で活路を開く 西尾市一色町の養鰻業者 大竹弘志さん

〈『日本養殖新聞』2013年1月10日号掲載、2020年4月13日加筆修正〉

養鰻の一大産地として全国に知られている愛知県西尾市一色町。遠浅な三河湾の海岸線に沿って広がる平野には、池をおおうハウスが点在し、歩いているとウナギの町の特色があちこちから視界に飛び込んでくる。

この一色で昨年からナマズ養殖に取り組んでいるのが大竹弘志さん(55)。30年近くにわたりウナギを生産してきたベテランの養鰻業者である。昨年7月に池入れしたナマズの稚魚は、大竹さんのたゆみない努力と苦心の連続によってその多くが順調に育ち、10月より待望の出荷が始まった。

4300匹余りの稚魚を放った池を見せてもらう。40センチ近くあるその姿を確認することはできなかったが、時おり水面にうまれる波紋からは、大竹さんが愛着をこめ呼んでいる「ナマズくん」たちが、じっと身を潜めている様子がうかがえた。隣接する作業小屋ではさばき方も教わった。「ウナギよりもやわらかくて楽にひらける」と話す大竹さん。慣れた手つきで黒々とした魚体に包丁を入れていくと、淡白で上品な白身があらわれる。

身にクセのないナマズは、どんな料理にもよくあう。昨年11月には市内の飲食店で試食会が開かれ、大竹さんが育てたナマズの蒲焼きやマリネ、唐揚げや味噌田楽、柳川鍋がならんだ。地元では食べる習慣のない魚で、口にするのは初めてという参加者が多かったものの評価は上々で、「地域で食べる文化を築いていくことが発展の鍵」と今後の展開に期待を寄せる。

ナマズとの出会いは、養鰻業を営んでいた父親の跡を継ごうと、当時務めていた地元の農協を退職した28歳のころに遡る。市内にある老舗のウナギ専門店でナマズの蒲焼きを味わう機会があり、そのおいしさが頭から離れなかった。このときの印象は記憶のなかにしっかりと刻まれ、いま再び鮮明によみがえる。

シラスウナギのかつてない不漁によって、大竹さんは昨年の池入れを断念した。近年続く漁の不振は深刻で、一色でも休業を余儀なくされる業者が少なくない。そのようななか、空いた池で他の魚を扱ってみたいという意欲が芽生え、「水のつくり方や餌の与え方がウナギとよく似ている」というナマズにたどり着く。

未知の領域に足を踏み入れてみると、餌の種類や給餌方法、共食いや病気といったいくつもの壁に突き当たる。ナマズに詳しい他県の生産者らに教えを請い、試行錯誤を繰り返しながら出荷までこぎつけた。問屋に出荷すれば終わりだったウナギとは異なり、流通から販売、販路の開拓まで奔走したこの5ヶ月を振り返り、「たくさんの出会いがあり、いろんなことを教えてもらった」と感慨深げに語る。

養殖をする喜び、苦しみ、楽しみを与えてくれた「ナマズくん」への感謝の気持ち、自身を育て支えてくれた先達や応援してくれる仲間の存在の大きさを改めてかみしめる。生産したナマズに付加価値をつけて、消費の拡大を図るのがこれからの課題。新たな挑戦を機に結ばれた人たちとのつながりを大切にしながら、大竹さんは「ぼちぼち」を合言葉に養殖を続ける。 

f:id:takashi213:20200226152222j:plain

f:id:takashi213:20200228153002j:plain