里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(17)」〉二人三脚で客に満足を届ける 「炭火焼うなぎ おがわ」を経営する 田中篤さん・信美さん

〈『日本養殖新聞』2013年10月15日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

三重県津市の郊外にあって、のどかな田園風景が広がる一身田(いっしんでん)地区。伊勢神宮へ供える御供米がつくられてきたという由緒あるところで、浄土真宗高田派の本山・専修寺があることでも知られる。この地に店を構え、地元の人々から親しまれているのが「炭火焼うなぎ おがわ」。田中篤さん(39)、信美さん(44)夫婦が仲良く店を切り盛りする。

市内で日本料理店を営んでいた信美さんの父親・小川楠男さんが、現在の場所に「おがわ」を開いたのは平成11年のこと。その楠男さんが4年目に病で倒れ、接客を担当していた信美さんが跡を継ぐことに。その3年後には、和食の料理人であった夫の篤さんが入店。夫婦の二人三脚によるウナギ職人としての歩みが始まる。

ウナギをさばいて串に通し、炭火で焼き上げる。ひたすら繰り返される一連の工程を、女性の腕で保つのは大変なこと。父親や他の職人から手ほどきは受けていたというが、「開くときも最初は力まかせ。ウナギ5尾を串にさして焼く、その重さで腱鞘炎になったり、手をよく切ったりして大変でした」。信美さんは修行を始めたころの記憶をたどる。二人で調理場に立つようになって7年。「まだまだ修行。焼きは一生です」。篤さんが穏やかな口調で語ると、信美さんは笑みを浮かべてうなずく。

店で扱うウナギは、「脂ののり、香りやうま味が違う」と太鼓判をおす三河一色産が中心。「あとに残らないさっぱりとした甘さ」が特徴のタレは、県内松阪市で製造されたたまりを取り寄せ、先代からのものに継ぎ足し使う。米も地元の契約農家が栽培したもので、「自分たちが食べておいしいと思う料理をだす」という信念を貫く。

蒲焼きの調理法は、この地方ではめずらしい背開きで、串をうって焼いたときに「うま味が逃げない」という長年探求を続けていた先代からの教え。炭火でじっくりと地焼きしたウナギは表面がぱりっと仕上がり、脂とタレが混じりあう濃厚なにおいが食欲を倍増させる。

稚魚の不漁が続き、とりまく環境は厳しさを増すが、「納得できる良質なウナギを使っていきたい」。父親ゆずりの妥協を許さない姿勢で真摯な足跡を一歩ずつ刻み、店の歴史を年輪のように形づくっていく。

県内在住の画家が描いた、独特のやわらかな表情をした仏や地蔵などの絵画が多数飾られた店内には、しっとりと落ち着いたジャズピアノの音色が流れ、訪れた客の心身をゆっくりとほぐしていく。料理に彩りを加える器は、楠男さんの手によるものも数多く、その一つひとつが、味とともに受け継いだ大切な財産となっている。家族の思い出がつまった店は、亡き父親が心血をそそいだ結晶であり、そのたたずまいは二人の職人から受けた印象にもぴったりと合う。

「父がつくってくれたものを守りつつ、自分たちのオリジナルをだしていきたい」と信美さん。篤さんも「お客さんに満足してもらうことが大事。精進ですね」と、気持ちを新たに将来を見すえる。「津といえばやっぱりウナギ」。ウナギを愛する地元客をはじめ多くの人々に感動と喜びを届けようと、夫婦でさらなる高みを目指す。

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