里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(16)」〉故郷の清流とともに歩む 馬瀬川下流漁協組合長 池戸賢作さん

〈『日本養殖新聞』2013年9月15日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

切り立つ山々が四方にそびえ、深緑がどこまでも広がる。ようやく聞こえ始めた秋の足音は、まだずっと彼方のほう。前日の豪雨を受け、眼下の濁流はしぶきをあげて轟々と加速する。7つの河川が合流する岐阜県下呂市金山町。飛騨と美濃をむすぶ中間にあって、かつては飛騨街道の宿場町として栄えた。風光明媚な名所が多く、なかでも飛騨木曽川国定公園の一部に指定されている渓谷の「中山七里」は、四季を通してさまざまな自然の表情が楽しめる観光地として知られる。

町を縦走する清流を長年見守ってきた、馬瀬川下流漁協組合長の池戸賢作さん(73)。この地域で生まれ育ち、建設業を営んで、故郷を離れることなく暮らし続けてきた。幼い頃の思い出をたずねると、「川ガキだった。きゅうり一本を昼ごはん代わりにして毎日遊んだ」。生きいきとした表情で懐かしむ。

流域の人々にとって、川魚は貴重なタンパク源だった。アユ、カワマス、ウナギ、ヨシノボリ、アジメドジョウなど、捕れる魚はなんでも食べた。ウナギは、幹縄に何本も釣り糸つけて川底に沈める「捨て針」。ウナギが潜んでいそうな石の下に仕掛ける「差し針」の2つの漁法があり、太い「鉄砲みみず」やドジョウ、ぶつ切りにしたアユを餌に使う。馬瀬川下流では、いまも10数人が鑑札をもちウナギ漁を行うが、その数は昔に比べて減っているという。

ウナギについて、池戸さんには忘れることのできない思い出がある。2キロを超える天然ウナギを梁(やな)で捕まえた10数年前の秋口のこと。早速さばいて調理にかけるも、「焼いても脂が強く、蒸して落としたが、それでも強すぎて腹を下した」。この時の記憶がいまも鮮明に残る。

時期にもよるが、天然は「あっさりして脂が甘く、口に入れるとさっと消える」。このあたりで捕れるものは400グラム以上で、養殖のものに比べて背が黒く、腹が白い。成長した親ウナギは、産卵で海に向かうため、「秋に水がでると流れに乗って一気に下る」という。

春先くらいから遡上するシラスウナギは、「ちょっと水気があれば草原でも。どんなところでも登る」というから驚く。「ダムにも魚道があり、水がある限り来ているのでは」と、ウナギの強靭な生命力について語る。

同組合では資源保護のため、昭和24年の設立当時から毎年ウナギを放流。今年も7月に幼魚20キロを放した。その馬瀬川では近年、川魚の減少が著しい。大きな原因は、上流域で繁殖したカワウの捕食によるもので、今年に入ってようやく駆除活動が始まり、成果があらわれているという。

疲弊する地域の実情と重なるように、組合員も減少と高齢化が止まらない。若年層の釣り離れが進み、危険だからと大人が子どもを水辺から遠ざける。暮らしのなかで育まれてきた、自然と人との結びつきまでが失われようとしている現状に、「これでは環境意識が芽生えない」と危機感をつのらせる。同組合では、3年前から親子釣り教室を開催。川辺の草を刈ったり、流木を除いたりといった環境の整備にも取り組む。地元で開かれるイベントにも出展し、地域の財産である馬瀬川の魅力を発信する。

馬瀬川は本当にきれいな川。残していきたい」。池戸さんは穏やかな表情でゆっくりと言葉をつむぐ。ともに歩んできた清流への思いがあふれでるかのように、その語り口は静穏でありながらも揺るぎない意志を秘め、いつまでも胸の奥に響いた。

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