里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

【新美貴資の「めぐる。103」】人として最良を尽くす 一隅を照らして連帯を

日本養殖新聞2021年1月25日号寄稿》

新型コロナウイルスの感染拡大がいつ収束するのか、まったくわからない多難な年明けとなった。私たちは、これまでの生き方の見直しを迫られているように思う。

昭和の高度経済成長によって人びとは便利さや快適さを手に入れたが、その一方で人間の生存に不可欠なものを多く失ってきた。

例えば川である。国中の流れをコンクリートで固定し、ダムや堰で止めてしまった。生き物の生息場は失われ、往来も閉ざされた。土砂の供給は止み、河床の低下や海岸の浸食などを引き起こし、生態系にも影響を及ぼしている。

それまで保たれていた川と人間とのつながりも希薄になった。漁撈を見ても、かつては多くの川で行われていた。捕れた魚は流域の人びとの貴重なたんぱく源になったし、労働の合間に興じる魚捕りは、娯楽的な時間でもあった。魚を釣ることを生業とする職漁師も存在した。

そして、その土地で手に入る材を利用し、漁場の環境や用いる人に合わせた漁具や漁舟がつくられ、魚の習性を生かした漁法が発展してきた。

川を起点とする、精神・物質的な多様なつながりがあり、さらに協働による共同社会が機能して、自然との調和はうまく保たれてきたのではないか。

先人は川からの豊かな恵みに感謝し、人知を超えた存在として恐れ、崇めてきた。そうして太古より結ばれてきた川と人間の密接な関係が、極めて短い期間のうちに絶えようとしている。

明治より始まる近代の自然観はいびつなものであった。自然をそれまでの調和から、克服しなければならない対象ととらえ、循環や持続よりも生産や経済の効率を優先し、国土を改造し続けてきた。

コロナ禍により自然を収奪する資本主義の限界がいよいよあらわになった。『未来への大分岐』(斎藤幸平編、集英社)に、カール・マルクスが指摘した環境についての記述がある。「資本は短期的な利潤という観点からしか自然を扱うことができない」。だから「資本は、人間と自然とのあいだの関係に『修復できない亀裂』をつくり出す」。

世界で止まない環境破壊。政治は有効な対策を打ち出すことができず、世の中は対立と格差が広がり、無関心と諦めがおおっている。

「一隅(いちぐう)を照らす」。アフガニスタンの発展に尽力した中村哲さんは著書『医者よ、信念はいらないまず命を救え!』(羊土社)のなかでこの言葉をあげている。「自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最良を尽くすことではないか」と、人間にとって大事なことについて語っている。

社会は一人ひとりの意識と行動によって変わると信じたい。そこから世代や立場を超えた連帯が生まれ、自然と共生できる新たなシステムをつくることができるかもしれない。その糸口が、川や海と生きてきた歴史、そこで長く持続させてきた水産業にあると思う。ローカルな現場で培われてきた知恵や技術を学び、未来について考えてみたい。

f:id:takashi213:20210130201712j:plain

山川草木だけでなく石や土もみんな生きている。人間も自然の一部なのである

f:id:takashi213:20210130201812j:plain