〈『日本養殖新聞』2018年3月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉
2月に徳島市で開かれた「わたしは川の守人シンポジウム」に参加した。主催したのは吉野川シンポジウム実行委員会。吉野川の第十堰を壊して大規模な可動堰を作るという計画が持ち上がった時、この問題について考えるため、1993年に有志が集まり結成した。第十堰とは、吉野川の河口から約14キロのところにある、江戸時代に石を積んで築かれたのを始まりとする堰である。
委員会は、可動堰の建設に反対するのではなく「ふるさとの川は住民が決めよう」という姿勢で、流域で暮らす人びとが自分たちの未来を自ら選択する、住民参加の運動を展開した。シンポジウムや勉強会をはじめ、吉野川の魅力を体験することができる機会をいくつもつくり、人びとの関心を川に呼び込んだ。こうした活動が広がり、可動堰計画の賛否を問う住民投票が2000年に実施され、計画の白紙が決まる。
シンポジウムの冒頭、挨拶に立った委員会代表の犬伏敬司さんは、可動堰の建設から吉野川を守った経緯を説明したうえで「住民投票の終わった翌年から我々は川の学校をスタートしました。川で遊び、川を知って、川を守る人を育てたいという思いで、これまで続けています」と来場者に話した。
川の学校とは、恵まれた自然が残る吉野川を教室に、子どもたちがキャンプ生活を送り、川を楽しみながら自由に学ぶ川ガキの養成講座である。校長を作家で日本を代表するカヌーイストの野田知佑さんが務める。
シンポジウムでは、野田さんが基調講演し、吉野川の川漁師・矢田輝彦さん、ゆいのふね代表・平工顕太郎さん、川の学校代表・安岡裕介さんの3名の川の守り人が意見を交換した。
日本中の、そして世界の川を歩き、旅してきた野田さんは、関わってきた長良川の河口堰建設反対運動、吉野川との出会い、川の学校の始まりと講座の様子などを語った。
「日本の川という川にダムができてつまらなくなってしまった」と野田さんは言う。可動堰の建設をめぐる住民投票の実施について「絶対反対だという言葉を使わずに、おかしいと思いませんか、考えてみましょうで押し通した。やり方がうまかった」と振り返る。
「川を大切にしましょうなんて言うよりも、川で遊んだほうがよっぽどわかりやすい」。幼い頃から親しんでいれば、大切に思う気持ちは自然と芽生える。野田さんは「世界で一番楽しい川が日本にはある」。そして「日本中をまわって一番感動したのが吉野川。こんなきれいな川はない」と話した。川の学校については「これからも永久に続ける」と力強く語った。
今も親水性が保たれている吉野川のような里川が各地で復活すれば、絶滅危惧種になってしまった川ガキもウナギも、きっと戻ってくるだろう。