里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(68)」〉自然環境があって守られる伝統文化 魚から海の変化を知る

〈『日本養殖新聞』2018年2月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

三河湾の漁師たちの声を聞く機会があった。いま海に起こっている異変が、地元の漁業に深刻な影響を及ぼしていることを実感した。不漁に見舞われているのはシラスウナギだけではない。三河湾と湾口でつながる伊勢湾も含めてみると、シラス、イカナゴ、アサリ、シジミなど、この地方の重要な漁獲対象資源の水揚げが大きく減っている。イカナゴについては、昨年12月からの調査で稚魚がほとんど捕れておらず、3年連続で禁漁になる可能性が高まってきた。全国をみてもサケ、サンマ、スルメイカが記録的な不漁となり、沿岸から沖合、さらには地球的な規模で海が大きく変化しているのではないかと考える。

こうした状況をうんでいる直接の原因については、海流の変化や海水温の上昇などを指摘する声があがっているが、はっきりとは解明されていない。地球の気候変動が、資源の増減をもたらす大きな要因となっていることは間違いないが、それに加えて、人間の自然破壊による負の影響も、魚種によっては大きく及んでいることを強調しておきたい。

三河湾でアサリを捕っているある漁師の話では、5年前から貝の身入りが悪くなり、「(海が)おかしくなった」。船をだす漁場では、アサリは「絶滅に近い」くらい減ってしまい、他の貝も消えてしまったという。「海がきれいになりすぎてだめになった」。この漁師は、生き物に必要な栄養分が海に欠乏しているとし、家庭や工場からの排水を集め海に排出している、浄化センターの汚水処理のあり方に疑問を呈した。

人間から見たきれいな水と、生き物にとっての恵みの水は違う。どれだけ科学が進歩しても、複雑で多様な自然のしくみには遠く及ばない。毎日海に出て、五感を通してその変化を体に刻んでいる漁師の言葉には説得力がある。

アサリは全国的な不漁に直面している。陸域で行われてきた人為的な改変の積み重ねによって、山から川を通じて海に供給されてきた栄養素などの物質の流れが止まり、微妙なバランスのうえに成り立っていたアサリの成育のメカニズムが、どこかでおかしくなってしまったのではないか。そしてそのような現象が、不漁にあえぐ各産地の海で共通して起こっているのではないかと想像した。

自然界の調和を大きく乱せば、その反動が人間界に返ってくる。一つの魚種から流域が抱えるいろんな問題が見えてくる。ウナギも同じではないか。ウナギの棲める環境を取り戻すことが、自然の復元につながり、豊かな生態系を呼び戻すことになる。自分たちが暮らす地域に流れる川を見てほしい。そこにウナギはいるだろうか。

ウナギをめぐる昨今の報道でもよく取り上げられる、伝統や食文化とはなにか。自然からの恵みとそのところの風土が合わさり、先達の不断の努力によって磨かれ、今日まで受け継がれてきたものではないか。先人から託された知恵や技術を、次代に渡す責務がわたしたちにはある。それも恵みをもたらしてくれる自然環境があってこそ、なのである。

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