里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(51)」〉アユは可能性のある面白い魚  長良川漁師 平工顕太郎さん

〈『日本養殖新聞』2016年9月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

今年も「長良川DAY2016」(同実行委員会主催)が9月3、4日の両日、岐阜県郡上市で開かれた。20年以上続くこの催しは、長良川河口堰建設に反対する会(岐阜市)、長良川水系・水を守る会(郡上市)などが後援・協力している。参加した約50人は岐阜県内の他、愛知、静岡、石川、徳島などの在住者で、カヌーイストで作家の野田知佑さんが校長をつとめる徳島の「川の学校」の生徒やその親、スタッフらも加わった。2日間、子どもたちは「川ガキ」となり、大人たちは童心にかえり、長良川やその支流でラフティングをし魚を獲ったり、橋から飛び込み泳いだりして体験プログラムを楽しんだ。

参加者が泊まる同市美並町にある「ふくべの里粥川バンガロー村」に着いたのは、初日の夕方。陽がかげりやわらかなランプの明かりが灯る静かな山奥で、みんなが輪をつくり、今日の川での出来事や魚の魅力、自然の面白さについて語りあう。夜には、話題提供者の一人として長良川漁師で漁舟を使いエコツアーを行う「結の舟」代表の平工顕太郎さん(32)が「若者から見た川漁師の魅力」と題して発表し、全員で川について学んだ。

3年前から長良川でアユを獲り、漁を続ける平工さん。昨年まで期間中にかけもちしていた鵜舟船頭の職を辞し、今年から専業の川漁師として活動する。昨年12月に長良川のアユが世界農業遺産に認定されたのを機に「アユ漁一本で生きていこうと思い独立しました」。この連載の取材で平工さんに会ったのは1年半前のこと。参加者の前で語る、陽に焼けたくましさを増したその表情からは、川漁師として生きる覚悟と、これまで積み重ねてきた自信のようなものが伝わってきた。

岐阜県とアユの関わりは深い。県内には、のぼりアユ、瀬付きアユ、落ちアユ、錆(さび)アユなど15を超えるアユの呼び名があり「生活と密着した魚である」と平工さんは説明する。このアユを獲る漁法が長良川には20くらいあり、漁師たちは複雑に変化するその日の気象や川の色、水温や水量などを読み、選択した漁法を操る。

所属している漁協には規則があり、組合員になればすべての漁法をすぐに扱えるわけではない。例えば、ある漁法は組合員としての実績が10年ないと使用が許可されない。一つひとつの漁法には、漁師としての経験年数が求められる。平工さんをのぞくと、わずかに残る専業漁師の最年少は60代半ば。経験年数を満たした5年、10年後にだれが教えてくれるのか。そんな不安を抱えながらも「いまできることをやるしかない」と前を見据える。

この夏からは、天然アユが全国で唯一競りにかけられるという岐阜市中央卸売市場に通い、集荷された県内各河川のアユの違いを確かめ学んでいる。川底の石に付着したコケをはんで成長するアユは、育つ川の環境によって味も香りも大きく変わる。同じ川であっても、その時どきによってコケの状態は変化し、アユの体色や身質に影響を及ぼす。漁獲時の扱いも重要で、網外しに手間取ると品質は落ちてしまう。一つの魚であってもこれほどまでに違いがあり、さまざまな条件が相場にはねかえる「アユは面白い」と目を輝かせる。

平工さんが魅了されるアユの一生は、卵からかえり海に下るところから始まる。半分を海で、もう半分を川で過ごす。「こうしたサイクルがないと良いアユは育たない」。ではアユを育む自然をどう保全し、川の守り人である漁師をどう支えていくのか。その未来像を示す責務が、世界農業遺産の認定を推し進めた岐阜県長良川中流の四市にはあり、伝統漁法を継承する立場の平工さんにも重圧がのしかかる。

この4年間の挑戦で、インターネットを使い自らが獲ったアユを直接販売する取り組みも軌道に乗り始めた。多くの人たちに川の魅力を感じてほしいと、自身の漁舟「結の丸」によるエコツアーも続けている。「アユの可能性は大きい」と参加者に伝える平工さん。そんな風に語る若手川漁師の可能性も、きっと限りなく大きいはず。そんな思いを抱きながら、静かな夜はゆっくりと流れ、満天の星空のもと団らんのときが続いた。

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