里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(6)」〉故郷の清流を見守り続ける 板取川漁師 野村真富さん

〈『日本養殖新聞』2012年11月15日号掲載、2020年4月13日加筆修正〉

長良川の支流である板取川。「清流の国」をうたう岐阜県のなかにあって、流域に豊かな恵み、多様な文化をもたらしてきた河川の一つである。この板取川が流れる関市洞戸(ほらど)地区をたずねたのは、10月下旬のこと。まわりの景観に溶け込んだ人家が点在し、山々に囲まれた田畑が一面に広がる盆地のなかを一歩ずつ踏みしめて歩く。のどかな集落のなかをゆっくりと流れる板取川は澄みわたり、ゆうゆうと泳ぐいくつもの魚影が、鏡のように静まりかえる川面に時おり波紋を浮かべる。

この洞戸で生まれ、いまも漁を続ける野村真富さん(77)。子どもの頃からアユやウナギを釣って育ち、板取川上流漁協理事を長年にわたって務めた。野村さんからウナギ釣りの仕掛けを見せてもらう。切断した長さ20センチぐらいの細い竹に、針のついた丈夫な糸をむすんだ「流し針」は、子どものときからの変わらないオリジナル。アブラハヤやアジメドジョウ、ミミズなどを針にかけ、竹の部分に重石をおいて川の瀬に仕掛けるのだという。

いまも20種を超える川魚が生息する板取川だが、姿を消したものも少なくない。「子どもの頃はどんな魚もたくさん獲れた」と野村さんは当時を振り返る。なかでも手製の竹竿を使ったアユ釣りには、小学生のときから夢中になって興じたそう。季節ごとにもたらしてくれる川魚の味は絶品で、捕らえたウナギは背開きにして蒲焼きに。いまではほとんど見られなくなってしまった天然アユも「香魚」の名の通りスイカのような独特の匂いがして、その甘みのあるはらわたを好んで味わったという。

板取川を知り尽くし、最後の漁師とも言われる野村さんは20代の一時期、漁で生計を立て暮らしていた。当時はまだ多くの川が、漁を営むことができるほどの豊かさを残していた。野村さんはいまもアユ釣りの他、地元で「ていな漁」と呼ぶ投網や石をつんで水の流れを変え、魚の習性を利用して箱のなかにとらえる「登り落ち漁」などを行う。魚と人との知恵比べから生まれたさまざまな漁法は、どれもかなりの熟練を必要とするため、洞戸で扱うことのできる漁師の数も少なくなった。

「昔はもっと川が近かった」。半世紀以上にわたり板取川とともに歩んできた野村さんは語る。かつて川の水は飲み水として使われ、河原は炊事や洗濯の場にもなり「生活の場」として人々の中心にあった。そんな身近な存在であった拠り所が近年ますます変化していく様相に、野村さんの危惧の念は深まる。なかでも「川を窒息させる」と言う長良川河口堰の建設によって、海とを行き来する天然のアユやウナギは大きな打撃を受け、激減したと考える。

周囲の山の荒廃も深刻だ。人工林の増加や林道の開設によって保水力の弱まった山林からは、降雨のたびに大量の雨水とともに土砂が吐き出される。そのたびに川は荒らされ、魚にとって棲みにくい環境へと変わってしまった。

それでも流域人口が少ないため生態系への負荷が小さく、手付かずの自然がまだ多く残されている板取川は、日本に現存する貴重な清流であり、野村さんは「世界遺産」と胸を張る。先人から継承した漁の技を守り、河川文化を伝えながら、これからも故郷の流れを見守り続ける。 

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