里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(42)」〉加工と直販で拡大目指す 山崎水産 坂柳淳之さん

〈『日本養殖新聞』2015年12月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

師走にはいるも、今年は晩秋から暖かい日が続き、日中はおだやかな陽気に包まれる。好天に恵まれたとある日の昼下がりに向かったのは、愛知県は東三河の都市・豊橋。同市の南部に位置する野依町で、アユを養殖する山崎水産を訪ねた。同市の特産である大葉やトマトなどを栽培する畑があたりにひろがるなか、今期の出荷をすべて終え、水のぬかれた養魚場は、来期からの稚魚の池入れをひかえ、静かなときを迎えていた。

全国一の生産量を誇る、愛知の養殖アユ。現在は数社が事業を展開し、良質なアユを育てている。そのなかで、豊橋に本拠をおく同社は、年間約100トンを出荷する中堅の生産者である。

三代目の坂柳淳之さん(43)が、同社のこれまでの歩みについて教えてくれた。創業は昭和40年代で、坂柳さんの母方の祖父が始めた。当初は、アユとウナギの両方を養殖していたが、20年くらい前よりアユのみを扱うようになり、いまにいたる。昔はこのあたりも養鰻が盛んで、20軒ほどが営んでいたというが、すでに一軒も残っておらず、往時の面影はない。

地元の高校を卒業し、大学に夜間で通う間、会社の仕事を手伝っていた坂柳さん。後を継ぐ意識はまったくなかったが、「生き物が好きで自分に合っていた」と、そのまま家業を継ぐことに。現在は社長を務める父・孝夫さん、母・澄子さん、妹・樋口友美さん、3名の従業員らと汗を流す。

いま、養殖アユの業界は苦しい局面に立たされている。かつて1万3000トンあったという国内の生産量は5000トンを切り、最盛期の半分以下にまで落ち込んだ。くわえて近年の餌や電気代の上昇が重くのしかかり、経営を圧迫する。「10年かけてアユの消費は落ちてきた。回復には時間がかかる」。苦境からの脱却をはかろうと、坂柳さんは育てたアユの加工と直販に力を入れる。

同社では、鮮魚や冷凍のほか、天日干しを市場だけでなく一般向けにも販売する。昨年には、特殊な加工をくわえることで、頭から骨まで丸ごと食べることができる「鮎の極み」を商品化した。「生産量を増やすよりも需要を拡大するほうが先」と話す坂柳さんは、県の内外で開かれる軽トラ市などのイベントに積極的に出店し、塩焼きや加工品を直売する。

今年10月には、地元で開かれる最大のイベントである「豊橋まつり」に初めて出店。2日間で約450匹の塩焼きを売り、来場者にアユのおいしさと同社の存在をアピールした。

「エンドユーザーに興味をもってもらえれば」。坂柳さんはネットを使ったり、イベントに参加したり、さまざまな形で消費者に情報を発信するとともに、異業種の交流会にも飛び込んで視野をひろげる。どうしたらもっとアユが売れるのか。実践をかさね、試行する毎日が続く。

同社は2か所の養魚場に、露地13面とハウス8面からなる池をもつ。80メートル下から汲み上げる、水温の安定した上質な地下水で元気なアユが育つ。鮮魚の出荷は、3月の初めから8月いっぱいくらいまで。シーズン中はつねに気が抜けない。「大きくしようと無理をして餌はやらない。そういう無理がたたって死んでしまう」。もっとも神経を使うのは給餌で、餌を食べる様子からそのときの状態を把握し、飼育法を調整しながら健康な魚づくりを行う。「いいかげんなことをしたら返ってくる」という坂柳さんは、来る池入れのときにそなえて気を引き締める。

将来かなえたい夢は、バーベキューやつかみ取り、料理が味わえる直売所をつくり、おいしさだけでなく楽しさも提供して、アユの魅力をアピールすること。「自分がつくったアユはおいしいと思う」。丹精こめて育てた魚への自信が原動力となり、これからの活路をきりひらく。

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