里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(43)」〉ウナギを食べない信仰の里 郡上市美並町の粥川を訪ねる

〈『日本養殖新聞』2016年1月25日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

ウナギを食べない風習が伝わり、いまも守られている地域があるのを知っているだろうか。岐阜県郡上市美並町の粥川(かゆかわ)。美濃の山奥にある小さな山里で、その伝承は語り継がれ、ウナギは特別な存在としてあがめられている。

以前から訪ねてみたいと思っていたウナギの聖地に向かったのは、1月の小寒を過ぎた頃。数日前まで、昼間は春のようなあたたかな陽気につつまれていたが、それから日を重ねるごとに冷え込みは増し、真冬の到来が遅れてやってきた。

中部地方を縦断する東海北陸道の美並インターチェンジから、週2日、一日8便運行する自主運行バスに乗りこみ、終着の停留所「円空ふるさと館前」を目指す。のどかな町のなかを流れる長良川からはずれ、小さな支流の粥川にそって進むと、平地はどんどん狭まり、景色はいよいよ険しくなる。粥川谷の手前にある高原の集落を通り過ぎると、人家はしばらく途絶え、蛇行する道の両側からは切り立つ山々が見下ろす。先ほどまで見えていた青空はいつしか消えて、頭上を厚い雲がおおっていた。

筆者ひとりを乗せた小さなバスは、人気のない谷をゆっくりと上る。集落の最奥にあたる停留所で降りると、冷気で吐く息は白く、ぴんと張り詰めた静寂な空間があたりをつつむ。平年であれば、この時期は膝まで雪で埋まるというが、暖冬のため今シーズンはまだ積雪がない。近くには、ぜんそくや眼病にご利益があるという、虚空蔵菩薩をまつる星宮(ほしのみや)神社があり、一帯は世俗を超越した清らかな神域の世界がひろがっていた。

この神社の縁起の一つとされているのが、粥川に伝わる「瓢(ふくべ)ヶ岳の鬼退治」の話である。美並村文化財保護委員会が昭和63年に発行した「神秘の魚粥川うなぎ天国」によると、村上天皇の天暦の始めの頃、瓢ヶ岳の山中に妖鬼が棲み、その迫害に里人はたびたび悩まされていた。帝から使わされた藤原高光が妖鬼退治のため山中に分け入ると、一匹のウナギが先にたって山を登り始める。これは道案内に違いないと、高光はウナギの後を追い、現われた妖鬼を神様から賜った矢で射止め、退治することができたという。

このとき高光は、里人たちに「このウナギは神の使いであるから、子々孫々にいたるまで必ずこれを捕ってはいけない。また食べてもいけない」と深くいましめた。また高光は、山の麓に6つの神社を建て、妖鬼が棲まないよう守護神とした。星宮神社はそのうちの一社である、というようなことが詳しく書かれている。

星宮神社から近い粥川の上流には、妖鬼退治を終えた高光が、神の矢を納めたとされる「矢納(やと)ヶ淵」がある。この青く澄んだ深い淵に、かつてはたくさんのウナギが泳いでいたという。神社で出会った70代とおぼしい地元の女性は、「若い者も、ここではぜったい食べない」とウナギについて語る。また神社からすこし下った、集落内の平曽橋のあたりで出会った中年の男性は、「春になるとウナギは見られると思います」と教えてくれた。

大正13年に国の天然記念物に指定された粥川のウナギ。この日は見ることはかなわなかったが、きっといまも谷川のどこかで身をひそめているに違いない。全国を遊行し、多くの仏像を残した円空の生まれたふるさとで、ウナギはいまも手厚く守られ、里の人びとから愛されている。

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