里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(53)」〉和紙の里の郷土食「にんめん」を伝える 美濃発條有限会社社長 神谷栄一さん

〈『日本養殖新聞』2016年11月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

単線の長良川鉄道に乗りこみ、始発の「美濃太田駅」を朝に発つ。この日に向かったのは、岐阜県の中央に位置する美濃市。わずかな乗客を乗せた一両は、重い駆動音と心地よい振動をひびかせながら北上する。

美濃市駅」で降りる。大正時代に開業した、歴史ある木造の駅構内をぬけると、再会を約束していた神谷栄一さん(58)が迎えてくれた。市内で金属加工の工場を経営し、となりの郡上市でトマトを栽培している神谷さんと出会ったのは昨年のこと。このときに、地元の料理店が美濃の新たな名物として売り出そうとメニュー化した「鮎にんめん」を教えてもらう。

鮎にんめんとは、アユからとった出汁を使った麺料理のこと。美濃商工会議所が条件をさだめ、開発の後押しをした。募集に応じ試作に取り組んだ市内にある4つの料理店が、同会議所から認定を受けたのは2年前。以来、それぞれが工夫を凝らし完成させたアユのうどんを提供している。

「にんめん」とは、和紙作りが盛んだった牧谷(まきだに)地区で昭和30年代頃まで食べられていた麺料理である。にんめんの語源は諸説あるが、「煮る麺」から転じたという説が有力。当時の人びとは紙すきの作業に一日中追われ、手の空いた者からいろりで煮込んである麺を食べた。

麺は、米の裏作で栽培していた麦を粉にしねって作った。むしろを敷いて踏み、それを折りたたみさらに踏む。何回も繰り返し、煮くずれしないよう硬めの平打ちのうどんに仕上げた。

この頃は、鰹節がまだ流通しておらず、出汁は川魚からとった。なかでも一番よい出汁がとれたのは、アユだった。地区の中を流れる長良川の支流である板取川で獲ったアユを、いろりでかりかりになるまでいぶし、出汁をとりうどんに使った。

神谷さんは地元でも忘れられ、人びとの記憶から消えようとしていた郷土食の存在を10数年前に知り、再現しようとこころみる。「いろんな人に聞いたがだれも知らない。にんめんを作ってくれと頼んでまわりました」と当時をなつかしむ。

にんめんへの興味は絶えることなく、長年付き合いのある先輩が牧谷地区の神洞(かんぼら)という集落の出身で、にんめんを知っていることがわかる。同地区の出身者らを訪ねては話を聞き、埋もれた郷土食の発掘に取り組んだ。

そんななか平成23年に商工会議所が「商工業等活性化プロジェクト」を発足する。このプロジェクトに、地元の新しい食を創造するグルメ開発が含まれることを知り、手をあげて「美濃グルメ開発実行委員会」のメンバーとなりにんめんを提案する。同年には、神洞の旧小学校でにんめんの試食会が企画され、神谷さんも協力。その後も試行錯誤を繰り返し、多くの人びとの参加と助言をうけて新たな名物が誕生した。

にんめんは、豊かな山河に恵まれた和紙の里で、人びとの暮らしのなかにあった。「アユからとった出汁を使った平打ち麺がにんめんなんです」。神谷さんの言葉には、地元の伝統文化を育んだ風土と先人への愛着がこもり、復活と継承に向けた情熱がひびく。

鮎にんめんは、期間限定で提供する店がほとんどで、このときに食べることはかなわなかった。来シーズンにあらためて紹介したい。

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